Hey,Girl

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“ほら、来た。” この時間にこの海岸にいれば彼女は茶色のトイプードルを連れて現れる。 初めて彼女を見かけたのは海沿いのこの道を自転車で走っていたときで 彼女はアイスコーヒーを片手に茶色のトイプードルを散歩させていた。 潮風に靡く茶色の髪がとても綺麗で 少し下を見ていたから顔はハッキリと見えなかったけれど なんとなく気になってしまって目が離せなかった俺は 横を通りすぎるまで彼女のことを見ていた。 俺はこの時間 バイトがある日はここを自転車で通り 休みの日は愛犬と散歩をしている。 この道のヘビーユーザーと言ってもいい俺が彼女を見かけたのは初めてで 記憶力が人並み以上にあるわけじゃないし 行き交う人をすべて見ているわけじゃないけれど 彼女のことは一度見たら忘れない自信がなぜか俺にはあったからあの時が初めての出会いだったと言いきれる。 あの日からの俺はここを通る度に彼女を探すようになっていて 初めはちょっとしたゲーム感覚で “見かけることができたらラッキー。” “見れなかったら今日はついてない。” 的な感じだったけれど 見かけることが多くなるにつれていつの間にか “どんな声をしているのかな。” とか “名前なんて言うのかな。” とか色々なことが気になりはじめて 俺は自分の好奇心というか惹かれだしている気持ちを止めることができず “夏だし、みんなテンション高いし ナンパ上等でしょう。 引かれちゃったら全部夏のせいにしちゃえばいい。 暑さで頭がどうかしていたと笑い話にしちゃえばいい。” なんて、失敗したときの言い訳だけをアホみたいに用意して “夏”に背中を押されたと言わんばかりに たいして後先考えることはなく 彼女に声をかけることにした。 『おい、ココ。お前ちゃんと可愛くしとくんだぞ。トイプードルちゃんに嫌われたら作戦台無しだからな。』 と俺は愛犬のミニチュアダックスに話しかける。 家を出る前に服装と髪型は念入りにチェックをした。 あとはタイミングだけを間違わなければきっとうまくいくはず。 彼女の声が聞けると思ったら 俺の足取りはいつもの10倍は軽やかで さっきまで “俺の恋路なんて興味ありません。” みたいな顔をしていたココもいつも以上にはしゃいでいる。 俺は深く息を吸い込み海岸通りを歩き始めた。 もうすぐ、もうすぐだ。 “ほら、来た。” この時間にこの海岸にいれば彼女は茶色のトイプードルを連れて現れる。 “ココ、今だ行け!” と心の中でココにサインを出す。 いつもはやんちゃなココも俺の恋心を読んでくれたのか、彼女の方に近寄って行った。 『ワンちゃん、可愛いですね。』 と彼女が俺に声をかけてくれる。 その声は高くも低くもないけれど 心地がいいというか 耳に馴染むというか とりあえず俺には好印象だった。 『ありがとうございます。トイプードルちゃんも可愛いですね。』 『ありがとうございます。なんかワンコ同士仲良くなっちゃってますね。』 『ほんとですね。もし時間があれば少し遊ばしてあげてもいいですか?』 『もちろんですよ。』 と彼女は俺の唐突な誘いに快くOKをしてくれた。 ただそれだけのことで俺は心の中でガッツポーズをする。 こんなにもうまくいくとは思っていなかった。 ココに感謝でしかない。 近くにあったコーヒースタンドでアイスのカフェラテを買って彼女に手渡す。 ワンコ達は嬉しそうに浜辺でじゃれあっていて 俺も彼女とあんな風に遊べたらいいのにとか妄想を膨らませる。 それなりに恋愛はしてきたから誰かと過ごす時間の幸せは一応知っているつもりだ。 彼女となら楽しい時間が過ごせると思う。 数週間前に初めて彼女を見かけて 数日前に彼女への気持ちに気がつき 数十分前に彼女に声をかけた。 少しずつ彼女に近づいているけれど まだまだこんなんじゃ物足りない。 新しい毎日を彼女と始めてみたい。 きっと楽しい毎日が待っている。 形になんてこだわらず、そばにいたい。 彼女と一緒にいたら時間が柔らかくなるような気がして ギュッと抱きしめたらきっと 幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。 ありえないくらい彼女のことが気になっている。 明日もまたこの場所で会いたい…。 触れるたびにいとしく 撫でるたびにくるおしい ココのような存在に彼女はきっとなる。 『ワンコ達、気が合うのかな。仲良くなっちゃってますね。また良かったら遊ばしてあげてください。』 と俺が言うと彼女は微笑みながら 『ぜひ。すごく可愛がっているんですね。』 と言った。 その笑顔が可愛くて俺がつい 『好きなんです…。』 と言ってしまったから 彼女は少し戸惑いながらこっちを見ていた。 俺は慌てて 『ココのことが…。』 と付け足したけれど 彼女は笑いながら 『私の名前も心だからココって呼ばれてますよ。』 といたずらっぽく言った。 俺はこの一言ですべてを察知して 『やっぱりこっちのココが好き。』 と言って彼女の手を握る。 『やーっと。やっとだよ。』 『え?』 『毎日同じ時間にこの海岸通りを通っていたの。自転車に乗っていたあなたを見た日から いつか話が出来たら良いなって思ってた。 だけど声をかける勇気なんてないから…。 今日話しかけてもらえて嬉しかった。』 『まじか…。』 この展開はきっと夏が俺に用意したプレゼントだ。 夏なんだしおもいっきり恋を楽しめって言っているんだ。 だけどそんなアシストはもういらない。 俺は夏のせいではなく もちろん夏の暑さでもなく ただ彼女が好きなんだ。
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