Cherry

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不毛な恋を続けて4年。 “幸せ”という言葉からは誰よりも遠いポジションにいた。 日曜日の昼下がり。 表参道にあるアニヴェルセルのオープンテラスで10年以上付き合いのある女友達と待ち合わせをしていた私はホットのカフェラテを飲みながら この後来る彼女が勝手に登録したマッチングアプリを見ていた。 登録をして1週間。 このアプリが課されている仕事を真面目にしたことはほぼない。 雇い主である私は何度お暇をあげようと思ったことか…。 だけど“ちゃんとやってるよね。”と彼女は必ず聞いてくる。 私に普通の幸せを感じてほしいと彼女が思っていることは痛いほどわかっていたのに その願いを4年間叶えることができなかった私は罪悪感もあって アプリをアンインストールできないでいた。 でもだからといってアプリでの出会いに前向きにもなれなかった。 だけど彼女には言い逃れも言い訳も通用しないことは付き合いの長い私が一番よくわかっているから 付け焼き刃だと見抜かれるかもしれないけれどやっていないことがバレるよりは面倒だけどやる方が断然良い。 私はこの待ち時間を使って彼女へのアプローチのためだけに溜まりに溜まっている “いいかも”をチェックし始めた。 “いいかも”をしてくる大半はビジュアルが微妙な男か40歳以上のおじさんかチャラそうな若者か…。 相変わらず変わりばえのしないカテゴリーにうんざりしてしまう。 見れば見るほどテンションが下がり 『外れもいいとこ…。』 と心の声がうっかりと漏れてしまった。 “月々お金を払ってアプリを楽しむ男に当たりがいるわけがない。” 考えなくてもそんなことはわかりきっている。 合コンを仕込んでもらえるほどのクオリティーはなく 魅力ある釣書が書けるステイタスもない。 だけど結婚相談所はさすがに自分にはまだ早いとなぜか思い込んでしまっている男たちは マッチングアプリか相席やかお見合いパーティーか…。 まだまだ自分は現役で運命の出会いができると思い登録し参加をする。 勘違いをしていることに気がつかないのか 自己評価が高いのか 現実を見ていないようで見ているのか 見ているようで見ていないのか…。 この男たちの真意はわからない。 だけどそんな男たちから“いいかも”をされる私は恋愛市場で価値が下がり 安売りもしくはタイムセールにされている商品なのだろう。 これは出会いの場を提供するアプリではない。 これは自分の女としての消費期限をリアルに受けとめるというシビアなアプリ。 怖いところは賞味期限ではなく消費期限なところだ。 “今日1日の中で1番ムダな時間を過ごしている気がする。” と心の中で思いながら 大量に来ている“いいかも”を流れ作業のようにさばいていく。 もちろんプロフィールを確認するなんて面倒なことはしない。 左手にスマホを持ち親指で左にフリックし続ける。 ある意味、親指の筋トレ。 男をビジュアルだけで判断することは今までなかったけれど ここでの出会いのジャッジ要素はもはやビジュアルしかない。 通りを歩く人たちを見ながらほぼ画面を見ることなくフリックし続けているとスマホが震えた。 “今駅に着いたから5分で合流できる。” と彼女からのLINEに “了解。オープンテラスにいる。” と返事を返しLINEを閉じるとさっきのアプリがまた顔を出してくる。 “ウザっ。” と思いながら左に親指をフリックしようとしたとき一人の男の写真が目にとまった。 雰囲気イケメンに見える写真の男は黒スーツを爽やかに着ていて コジャレた雰囲気のお店で右手にワイングラスを持ちお向かいに座っているであろう人と乾杯をしようとしている。 視線がグラスに向いているから何気なく撮られた写真なのだろう。 たった一枚の写真を見ただけでごく自然に私の親指は左にフリックするのではなくプロフィールをタップしていた。 “本人認証ってことは年齢とか詐欺ってなくて本物ってことか。 某大手食品メーカー営業。 年収900万から1200万。 条件としては言うことないのかも。” 専業主婦を夢見ている私にはもってこいの案件。 興味本意で“いいかも”を返してみた。 初めて“いいかも”を押した私はこの後の展開がどうなるかは知らないし “マッチングした”と言われても“そうなんだ。”ぐらいにしか思わなかった。 ただ彼女に会う前に“ミッションをやり遂げた。”という達成感があっただけ。 今思えばこの時の行動は私にとって勇気そのもので言葉で説明することができない衝動は 興味本意などではなく 必然だったのかもしれない。 “いいかも”を返した夜、彼からメッセージが届いた。 何てことのないごくありふれた内容に ごくありふれた返事を返す。 ただの社交辞令すぎて 返事が返ってくる確率は極めて0に近い。 だけど数分後にまたメッセージがきた。 それにまた差し障りのない返事を返す。 そんなどうってことのないやりとりが1週間続いたある日 “良かったらLINE交換しませんか?” とメッセージが届いた。 驚くことはない。 出会いを探すアプリなのだから当たり前の展開。 ただ驚く理由がもしあったとしたのなら 差し障りのない内容しか送らない私のどこに彼は興味をもったのだろう。 ただそれだけだ。 断る理由も見あたらないし 何よりも不毛な恋愛を続けて心に穴が開いてしまっている私のやりきれない気持ちを もて余している時間を 埋めてくれる唯一の存在に彼はなりつつあって 今この人が私の前から消えたら 私は本当にひとりぼっちになってしまう。 女友達や仕事や趣味では埋められないどうしようもない気持ちを 男という存在だけが解消してくれる。 そう考えたら“好き”や“興味がある”や“好意的な気持ち”なんて存在しなくても 私にとって彼と繋がる意味は確かにあるし彼は私にとって希少価値の高い男ということだ。 絵文字はあまり送らないタイプ。 “はい”とだけ返事をしてしまうタイプ。 LINEはいつもローテンションと言われるタイプ。 そんな私が慣れなのか情なのか 彼からのLINEを待ちわびるようになっていた。 変なあだ名で呼ばれても 写メを送ってと言われても 嫌だと良いながらもリクエストに答えてしまう。 “♥”の絵文字は送っても良いのか一生悩んで 常にスマホを手にし返事は秒で返す。 寝る時間もどんどん遅くなって 朝から晩まで時間があれば彼とLINEをする。 かまってもらえなかったら淋しくて もしかして既婚者?と疑って探りをいれて だけど本当のところはわからなくて 信じようとか繋ぎ止めようとか考えて 依存心なのか愛情なのか 考えれば考えるほどワケがわからなくなっていく。 そんな私に“言行不一致”と彼は言う。 すべてのことに一喜一憂する私は言行不一致と言われても仕方がない。 彼に対しての感情を私が知っている言葉で表すことはとても難しい。 まさに“リモラブ”の最中で いつの間にか手放すことができないほどに ドはまりしていた。 恋しちゃったんだ。 会ったこともない人に。 恋しちゃっているのかな? 会ったことない人なのに。 恋ってなんだっけ…。 恋の始まりってどんな感じだったっけ…。 不毛で先の見えない恋愛をしていると キラキラした気持ちからあまりにも遠退くから 幸せとか楽しいとか嬉しいとか そんな感覚がマヒしていく。 これは依存なんだと これは逃げているだけなんだと 新しい恋を認められなくなってしまう。 認めてしまうと費やした時間が意味の持たないものになってしまうから。 女の4年は男の10年に匹敵すると思う。 だけどね。ふと思い出したんだ。 付き合ってもいないのにバカップルみたいなことをLINEしあって 気がつけば夜中の2時で 寝不足になってしまうことは 間違いなく恋の始まりだってことを。 恋愛の始まりなんてほぼ勘違い。 それさえ認めてしまえばいつでもスタートが切れる。 恋愛は何かを認めること。 それは気持ちかもしれないし己かもしれない。 4年を無駄にした私にとって消費期限を受け入れて今目の前にあるものを大事にすると決めることが スタートを切るということなのかもしれない。 幸せはもうすぐそこにある。 あとは恋をしていることを認めれば良い。
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