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2 「さようなら」  彼の声が、脳の底まで響いてきた。三十分も、教室に二人きりで居たのに、一つも言葉は交わせなかった。  彼は放課後よく教室に残っているけど、必ず、毎日遅くまで残っている訳では無い。だから、今日は最後の授業が終わってから、もしも彼が早めに帰ろうとするなら、声を掛けて引き留めて、別の場所に連れ出して告白しようと思っていた。  三十分も教室に二人きりで居れたのに、何も言えない私に、そんな勇気が持てたのかは分からないけど、今日言えなければ、二度と言えないだろうと思っていた。  それを思うと、考えていた中で、一番告白をしやすい場面に導かれた事を、ありがたく思った。    部活に入っていないクラスメイトは少ない方で、その中でよく放課後話しをする子と、いつもは教室を出るのだけれど、今日は、先に帰ってと言って一人になった。他の子も少しずつ帰っていき、後はぼんやりと窓の外を眺める彼と、その彼を見ている私だけが残っていた。  窓の外は、真っ赤な夕焼けが鮮やかで、教室は、とても美しいオレンジ色に染まっていた。  席を立って別れを告げた彼に、私は声を掛けた。 「あのさ、ゆうき君って、いつも帰り遅いよね?」  こんな質問に、何も意味は無いのだけれど、彼を、とりあえず引き留める為に出た言葉だった。 「そうかな? 清水さんも遅い方だと思うけど」  私は、まず名前を覚えてもらっていた事が嬉しくて、心を乱してしまった。次の言葉がなかなか思い付かず、奇妙な間を空けて言葉を返した。 「ごめん、ゆうき君なんて言っちゃって、そんなに話した事も無いのに失礼だったね」 「失礼って、そんな事無いよ、俺の苗字は長いから、みんなゆうきって呼んでるし、全然そのままで大丈夫だよ」  私が作ってしまった、変な間も気にせず、彼は応えてくれた。 「ありがとう。それじゃあ、ゆうき君って呼ぶね」 「うん。それじゃあさよなら」  私はその時迷った。彼と初めて会話が出来て、下の名前で呼ぶ事を許されて、今日はもう、このままでいいんじゃないかと思った。何も無かったものが、一にはなった。これから、また少しずつ進んでいけばいいんじゃないかと思った。  でも、私は進もうとした。なぜなら、それは誕生日だったから。十六歳になった私は、この誕生日という日に、誰かに祝ってもらいたいとか、楽しみたいと願ってはいなかった。ただ、勇気が欲しかった。好きな人に、好きと言える勇気が欲しかった。 「私ね、ゆうき君と、前から喋ってみたいと思ってたの」  人に、感情を伝える事が苦手だった。だから、今日という日に枷をはめていた。 「気付いたらさ、ゆうき君の事、ずっと見てたんだよ」  強くなりたい。今日告白出来なかったら、私はずっとこのままだと、勇気が持てないせいで、後悔する人生を歩むんだと言い聞かせてた。 「本当に急だし、気持ち悪いかもだけど、いいかな?」  でも、それは全て自分の為だった。相手の返事も聞かずに、いくつも言葉を並べ立て、私はただ、自分の為だけに、その想いを打ち明けた。 「ゆうき君が好きです」  彼は、自分勝手な私の告白を、最後まで聞いてくれていた。 「そっか、ありがとう」  彼は、戸惑っている様な素振りを見せたけれど、その言葉のあと、目を見て微笑んでくれた。初めて告白をした人が、優しい人で良かったと思った。 「ごめんね、でも想いが伝えられて良かったよ」  その後、とりとめのない静寂を迎えた。いつの間にか、立ち上がっていた私と彼は、そのまま見つめ合って、その静寂を過ごした。  私は、大事な言葉を言うのを忘れていた。その言葉が無ければ、何の為に告白しているのかさえ分からなかった。 「もし、良ければだけど、付き合ってくれたりしないかな?」  私は多分、はじめから期待はしていなかった。だから、そんな大事な言葉を言うのを忘れていた。私の存在に、想いに気付いてもらえれば良かった。わざわざ傷付くだけの質問をしたくなかった。    でも、告白というのは、ここまでが決まりの様なものだから、仕方が無くその言葉を伝え、彼の返事を待っていた。 「いいよ」  はじめは、彼の応えが理解出来なくて、返事とは言えない言葉を発していた。 「えっ?」  私は、呆気に取られている筈の顔を作り変え、真剣な面持ちで彼に問うのだった。 「それって、付き合ってくれるって事なのかな?」 「うん。もし、清水さんがいいなら」  その時は、私にも、こんな嬉しい出来事が訪れるんだと、幸せな未来が待っているんだと本気で思っていた。想いを伝えて、それが実る事が、ゴールになってしまっていたんだ。未来が見える訳もない私は、涙を浮かべて彼に感謝を伝えていた。 「ありがとう。今日ね、私、誕生日なんだ。今まで生きてきた中で、一番嬉しい誕生日かもしれない」  その時の私を、彼はどう見ていたのだろう? 「そっか」  涙で滲んだ私の目には、彼の視線が自分と交わっているのかなんて分からなかった。
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