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村の市場は、買い物をする女たちでごった返していた。
修道院からの帰り道、ヘレナは夕食の材料を買いに市場に寄った。
少しでも安く新鮮な物を求めて店を見て回る。どこの店も同じような品揃えで、萎びた野菜や果物が並んでいるだけだ。黒い森のハムが硝子ケースの中に並んでいるのを久方ぶりに見たが、値段が高くて手が出ない。
第一次大戦後の莫大な賠償金の支払いと天文学的なインフレによって壊滅的になったアレマニア経済も、ようやく復活の兆しを見せ始めていたのに、世界大恐慌によってアメリカ資本が引き上げられたため、再び出口の見えない暗黒に陥っていた。
帝都アレマニアなどの都市部では、赤色戦線兵士とアレマンの突撃隊とが激しい衝突を繰り広げ、共和国時代の良きモダニズム都市は荒廃の一途を辿っている。
ここでも、徐々に食料品が手に入りにくくなってきていた。
ふと、顔を上げると、離れた所の店先に何人かの女たちが立ち並び、ヘレナに無遠慮な視線を送っているのに気がついた。
ベアホルデの紡績工場に勤める女工組合の女たちだった。
ヘレナの眉間に微かに皺が寄った。
ヘレナは女たちに気づかない振りをして、横の道に入ると足早にそこを離れる。
「………今日も、『良いお仕事』からお帰りさね」
女の一人が、ヘレナを揶揄する声を発したのが微かに聞こえた。
彼女らがヘレナを見かける度に侮蔑の態度を示すのは、村人の禁忌の場所であるマレンブラウ修道院に通っているというのが理由の一つだろう。
しかし、マレンブラウ修道院にはかなり力を持った政府機関が絡んでいるというのがもっぱらの噂で、彼女らもあからさまな嫌がらせまではしてこない。
勿論、彼女らはヘレナがどんな仕事をしているかは知らない。
ヘレナも彼女らを嫌っていた。
嫌っているどころか、憎んでさえいた。
兄が早すぎる死を遂げたのも、その責任の一端は彼女たちにあるとヘレナは思っていた。
あの傍若無人に振る舞う女工たちに追いつめられたと固く信じ込んでいた。
あること無いこと吹聴する女工たちには、兄のヴェルナーが起こした恋愛沙汰は格好の話題を提供したようで、当のヴェルナーが死んでしまっているのに、あれ以来ヘレナの顔を見ると女たちは訳知り顔で目配せしニヤニヤと笑う。
そんな女工たちの顔を見る度に、不快な思いと沸々とした怒りが沸き上がるのを感じた。
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