第一部 マレンブラウ修道院

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 静まりかえったシュトラーセハウゼンの表通りは朝靄に包まれていた。  石畳に跫音が微かに響く。ヘレナは腕にぶら下げた二つのバスケットを揺らし、道を急いでいた。  厩の側を通ると、中で家畜たちの僅かに身動ぎする気配がする。  まだ時間には随分と余裕があったが、少しでも遅れると丸太の腕のハンスにこっぴどく怒られるので自然と早足になった。  しかし、ヘレナが足を早めるのは別な理由もあった。  今日こそはと、確信めいた思いが夕べからしてならない。  ヘレナのメッセージに、何らかの答えがあるような予感がするのだ。   もし、先にそれをハンスに見つけられていたら、すぐに消されてしまっているだろう。  消されてしまうくらいならまだ良いが、ヘレナの仕業だとわかったら怒鳴られるだけではすまない。  あの太い腕で殴られたら、ヘレナの細い首などひとたまりもなく折れてしまうに違いない。  道が突き当たると、ネッカー川が目の前に広がった。  川に沿って歩くと、ラウフェン橋が見えてくる。  橋の袂には、中世にこの地を支配したラウフェン公爵が自らを模して造らせた青銅像が立ち、かつてはその鷲鼻と射るような目で橋を渡る者を怯ませたものだった。とはいえ、ラウフェン公国が権勢を誇ったのは遙か昔で、今では青銅像は鳩の糞にまみれ、かつての威光は見る影もない。  ラウフェン橋を過ぎる辺りになると、ケルト語で荒れた川を意味するその名の通り、ネッカー川は突如暴れ出したかのような凄まじい轟音を轟かセルフェン滝へと落ちる。  落差は無いが水煙を上げる滝は、時折人を呑み込み水死体が浅瀬に流れ着いた。  いつもそうであるかのように、村人たちは波間に死体がゆらゆらとたゆたう様を遠巻きに見ながら、ひそひそと囁く。 「また、黒い妖精(デックアールヴル)に魅入られたよ」  黒い妖精(デックアールヴル)とは、シュトラーセハウゼン村近隣の伝説に出てくる妖精のことで、人々の魂を貪り喰い、地下世界(スヴァルトアールヴヘイム)へ引き摺り込むとされていた。  実際、この地ではその名を口に出すことも憚れる程、死へと誘う妖精は恐れられていて、幼い子は何かおいたをした時など、黒い妖精(デックアールヴル)の名を出せば脅えてベッドに潜り込んだ。
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