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部屋の中は漆黒の闇であった。
明かりで安穏の眠りを妨げられた闇は、蝋燭を持つヘレナに怒りの矛先を向け、今にも襲いかかろうと身構えているように思える。
影が煉瓦塀に揺れる。
広い部屋の中央に机があり、食べ滓の残った食器と、空になった瓶が転がっていた。それらを抱えると、一旦部屋の外へ出た。
廊下に設えた食器棚から新しい食器を出し、もう一つのバスケットから取り出したプレッツェルやザウアークラフト、蒸かした馬鈴薯、ソーセージを移し替えた。
途中、手が滑りスプーンが食器の上に落ちた。
それは、カンッという微かな音を立てただけだが、ハンスを振り返ると鬼のような形相で睨んでいる。
扉の向こうでは何も音はしなかった。ハンスの視線を避けるように背を向けると、ヘレナはまた部屋に入っていった。
おまるの排泄物を処理し、ベッドのシーツを替えると、ヘレナは部屋の外を窺った。
何も聞こえてこない。
ヘレナは、今にも張り裂けそうなほど胸の高まりを感じながら、燭台を取ると外の部屋に通じる扉とは別の扉の前に立った。
この扉は、もう一つの部屋に通じているのだ。
蝋燭の明かりを扉に近づけてみる。
あった!
ヘレナは興奮で思わず燭台を取り落とすところだった。
自分の刻んだ印に答えがあった!
扉には、泥で横に塗られた線が二つ走っていた。
上に塗られた泥は、もう乾いており、手で触れればぼろぼろと落ちるほどだった。しかし、その下に引かれた泥の線は、明らかにそれから時間をおいて塗られた物だった。
ヘレナは思わず胸の前で十字を切った。
上に線を引いたのは、ヘレナだった。昨日の朝、掃除と食料の補給に来たときに、部屋の隅に堆積する泥で線を付けておいたのだ。
感動と興奮に包まれていたヘレナだが、いつまでもこうしていてはいられない。燭台を下に置くと、音を立てないよう慎重に扉から泥を手で落とす。
どうせハンスはこの部屋には入ってこない。そのような規則があるのかどうかはわからないが、ヘレナが知る限り今まで一度も入ってきたことはない。
しかし、ゲルマン気質そのもののハンスに規則破りを見つかったら何をされるかわからない。
乾いてこびり付いた泥は、爪で刮げ落とした。
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