2/3
121人が本棚に入れています
本棚に追加
/398ページ
 部屋の中は漆黒の闇であった。  明かりで安穏の眠りを妨げられた闇は、蝋燭を持つヘレナに怒りの矛先を向け、今にも襲いかかろうと身構えているように思える。  影が煉瓦塀に揺れる。  広い部屋の中央に机があり、食べ滓の残った食器と、空になった瓶が転がっていた。それらを抱えると、一旦部屋の外へ出た。  廊下に設えた食器棚から新しい食器を出し、もう一つのバスケットから取り出したプレッツェルやザウアークラフト、蒸かした馬鈴薯、ソーセージを移し替えた。  途中、手が滑りスプーンが食器の上に落ちた。  それは、カンッという微かな音を立てただけだが、ハンスを振り返ると鬼のような形相で睨んでいる。  扉の向こうでは何も音はしなかった。ハンスの視線を避けるように背を向けると、ヘレナはまた部屋に入っていった。  おまるの排泄物を処理し、ベッドのシーツを替えると、ヘレナは部屋の外を窺った。  何も聞こえてこない。  ヘレナは、今にも張り裂けそうなほど胸の高まりを感じながら、燭台を取ると外の部屋に通じる扉とは別の扉の前に立った。  この扉は、もう一つの部屋に通じているのだ。  蝋燭の明かりを扉に近づけてみる。    あった!     ヘレナは興奮で思わず燭台を取り落とすところだった。  自分の刻んだ(アンタレシュリフト)に答えがあった!  扉には、泥で横に塗られた線が二つ走っていた。  上に塗られた泥は、もう乾いており、手で触れればぼろぼろと落ちるほどだった。しかし、その下に引かれた泥の線は、明らかにそれから時間をおいて塗られた物だった。  ヘレナは思わず胸の前で十字を切った。  上に線を引いたのは、ヘレナだった。昨日の朝、掃除と食料の補給に来たときに、部屋の隅に堆積する泥で線を付けておいたのだ。  感動と興奮に包まれていたヘレナだが、いつまでもこうしていてはいられない。燭台を下に置くと、音を立てないよう慎重に扉から泥を手で落とす。  どうせハンスはこの部屋には入ってこない。そのような規則(リーグル)があるのかどうかはわからないが、ヘレナが知る限り今まで一度も入ってきたことはない。  しかし、ゲルマン気質そのもののハンスに規則(リーグル)破りを見つかったら何をされるかわからない。  乾いてこびり付いた泥は、爪で刮げ落とした。
/398ページ

最初のコメントを投稿しよう!