されど、空の青さを知る

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 戸を開いた先にはいつもと同じ教室があった。   自分を取り巻く級友たちの喧騒も何ら変わりはない。無意識に緊張していた全身から力が抜けていく。昨晩、両親からはこっぴどく叱られたが、それよりもどんな顔で登校すればよいのかを想像してほとんど眠れなかった。  ありふれた日々の始まり――だが、入口すぐ近くの各務の席は空いたままだった。  廊下へと戻りかけた時に、教室の戸が開かれた。 「さあさあ、始めるぞ!」  通常を上回る声量で現れたブートンに舌打ちしたいような、安心したような心地を覚える。席に向かう生徒たちの動きに朝の清新な空気が撹拌されていく中、慌ただしい流れに紛れるようにして彼が到着した。  ほっとしたのも束の間、着席した各務の横顔を見て凍りついた。  階段を駆け上がって来たのだろう。頬には赤味が差しているが、口元のそれは遠目にもはっきり痣だと確認できた。  脳裏に焼きついた赤紫色の傷跡は、授業中もずっと消えることはなかった。  高等部の敷地内には東門へと続く狭い歩道が設けられている。グラウンドと境界を画する舗装された黄土色の小道沿いには季節を彩る花々が植えられており、男子校らしからぬメルヘンな雰囲気を放ちまくっていた。  昨日、召喚された生徒指導室や職員室が収まる西棟校舎にもたれながら、長谷部は名も知らぬ青い花が微風にそよぐのを見るでもなく眺めていた。  小道はエントランス手前で分岐している。一方は中央棟に、もう片方は中等部へと伸びていく。  いつものように弁当(ブツ)を受け取った各務は、エントランスで待ち構えている級友に気づいて片方の眉を上げた。 「どこへ行くつもりだ」  無言で投げかけられた問いを黙殺し、長谷部は詰問口調で切り出した。 「松田先輩たちには、さっき俺が丁重に詫びを入れておいた。お前の分も、な。だから行く必要は無い。……前から言おうと思ったが、お前なんかが先輩たちと肩を並べて昼飯食べるなんて、十年、いや、百年早いんだよ!!」  腕組みをして語気を強めた長谷部の正面に立ち、各務は表情の読めない顔でじっと耳を傾けていた。視線に気づき、口元に指を添えてもその顔色に変化は見られない。 「父だよ。あの人、同じミスは許してくれないんだ。故意だってこともバレたしね。覚悟してたから平気だ」  少しおどけた声にも長谷部は笑えなかった。色が白いために、より目立つ痣が何とも痛々しい。 「各務――」 「謝ったりするなよ」  長谷部を見上げる鳶色の瞳がしたたかに煌めく。 「べつに、長谷部の協力がなくても、宇部には一矢報いるつもりだった。だから気にするだけ無駄だ」  でも、と各務は言いにくそうに目を泳がせた。  こいつでもこんな顔するんだ。無性におかしくなったが、長谷部は素知らぬふりをして横を向いた。 「関係ないのに首を突っこんできて……なんてお節介なヤツだと思った。でも――でも、すごく……」  嬉しかった、という声は背を向けると同時に言い放たれた。  方向転換した彼がずんずんと早足で進んだのは、中等部へと通じる小道だった。
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