42人が本棚に入れています
本棚に追加
クリストファー・ヴァン・ストーカーの日記 一日目
今回は、我が記念すべき初の本格的な大仕事となるであろうから、今後の稼業に役立てんがため、道中、日記を毎日、詳細に付けておきたいと思いこれを記す。
5月3日 晴れ。
パカパカと呑気に道を行く地元の百姓の馬車に乗せてもらって、ようやく、この辺鄙な田舎街へと俺はやって来た。
首都であるブカレストは〝バルカンの小パリ〟と称されるだけあって、さすがに都会だったが、ここら辺まで来ると、ほんとにもう「ど」が付くほどの田舎町だ。
ロンドンやパリといった大都市で長年暮らしたことのある俺の目からしてみれば、一世紀くらい時代を遡ったような、もしくは、この世界の果てにでもやって来てしまったような、そんな辺境の地である。
いや、それ以前に、そもそも西欧生まれの俺にとっては、東欧に属するこの地の気候も風土もあまり馴染みのないものなのだ。
殊に数十年ほど前にワラキアとモルダビィアが合わさってルーマニアという新たな国名となったこの国は、おとなりのハンガリー帝国やハプスブルグ家の神聖ローマ帝国といったキリスト教国と、オスマントルコというイスラム圏の国、さらにはロシアなども加わって、長年、その領有を争ってきた、いわば列強国の緩衝地帯であり、そのせいか、様々な国の文化―イスラムや東洋の風情といったものもそこここに混じっていて、なんとなくエスニックな香りが周囲に漂っている。
ちなみに〝ルーマニア〟という国名は、かつてこの地が古代ローマ帝国の植民地だったことに由来し、〝ローマ人の国〟という意味なのだそうだ。
また、そもそもは同じルーマニアの地であり、現在はオーストリア・ハンガリー帝国の領土となっているトランシルバニア地方の名が〝森の彼方の地〟を表す地名のように、なんしろここら辺には森が多い。住民の家や教会なんかもすべて木で作られており、まさに〝森の国〟といったところだ。
そして、その深い森の中からは、時折、狼達の吠える声が聞こえてきたりもする。
いや、狼ばかりか、他の獰猛な獣達、もっと言えば、この世ならざる魔物の気配までもが鬱蒼と茂った暗い森の奥深くから漂ってくるようにさえ感じられる。
どうやら俺は、本当にヨーロッパの果てまで来てしまったらしい……。
最初のコメントを投稿しよう!