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エージェントを移籍してからのレイは、母国での活動をメインに、ブレイクのきっかけとなった日本でも徐々に仕事を再開していた。
アジア圏では他国での起用も目立つようになり、業界での存在感はますます大きくなっていた。
私はというと、会社員時代のコネクションや知り合いから声をかけてもらった小さな仕事をコツコツとこなしていた。
もともとアシスタントも付けず一人でやっていくには大きな仕事が請け負えない。
この仕事は現場もさることながら、準備に膨大な時間と労力が必要だ。
服はもちろん靴小物のレンタル、それらの交渉、借りてきた服をモデルのサイズに調整、使用後にはそれをクリーニングし返却する。
靴のソールには汚れないようにひとつひとつテープで覆う裏貼りなど細かい作業もたくさんある。
本来アシスタントに任せるそれらの仕事もすべて自分でやらなければならない。
一度に大量の衣装を必要とする大きな仕事は、一人でやっている私には物理的に無理があるのだ。
仕事に大小上下はないが、丁寧に時間がかけられる小さな仕事を選んで請け負った。
商売としてはギリギリだったが充実感はあった。
少しずつだが得意先も増えていた。
だがあの日、
「競争しよう」と言ったレイの言葉は2年が経った今、
「兎と亀」ほどの歩みの差だ。
それでも私は、自分のペースで仕事ができる今のスタイルが心地よくもあった。
その電話は何の前触れも無く突然にかかって来た。
「お元気ですか?」
最後に仕事をしたあの日以来の会話。
たどたどしい日本語。
驚きと懐かしさで気が動転した。
レイだ。
電話越しのその声はずいぶん大人びて穏かに聞こえる。
仕事を依頼をしたいので近いうちに会いたい、と言う。
出版社や代理店でなく、モデルやタレントが直接オファーをしてくることなど過去にない。
レイの声を久しぶりに聞いた胸の高鳴りと、再び会うことができる喜びとが、
なぜ、と感じる疑問を吹き飛ばした。
その申し入れを承諾して話を聞く日取りを決めると、
最後までかしこまった口調でのやり取りが終わった。
電話を切ったとたんさらに鼓動が早まっていくのを感じた。
同時にボスとレイの並んだ姿が脳裏に浮かんだ。
レイが日本を離れて2年が経った今でも、
ボス、佐々木サヤカとの付き合いは続いていることをミキから聞いていた。
チクリ、と胸を刺す痛み。
何で胸が痛んだりするのだろうか?
自分に問いかける。
でもすぐにその自問を滑稽に感じた。
ずっと気になっていたのにはちゃんと理由があった。
私はもうとっくにあの日、
レイに落ちていたのだ。
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