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フロントグラスの先には、たった今離陸したばかりのジェット機が空へと舞い上がる。
ぼんやり霞んだ春の青空がその機体をゆっくりと吸い込んでいくように見えた。
「昨日までずっと雨降ってたんだよ。」
私は、やっとそう口にしてセルを回しエンジンをかけた。
撮影現場から海沿いの道をしばらく北上し、
国道に入ってからは少し飛ばし気味に走ってちょうど一時間くらいで空港に辿り着いた。
ゲートから出てきて私を見つけたレイは、一瞬驚いた顔をしたものの、
少し照れたように笑ったあとその顔を隠すかのように下を向いて近づいてきた。
そこからこの駐車場まで、
私の少し後を唇をぎゅっと結んで黙ったまま、背中を丸めてついてきた。
公式プロフィールでは186センチとある長身も、
外国人が多く行き交う空港内では特に目立つこともなくその雑踏に紛れた。
レイは後部座席のドアをあけ、肩から降ろしたリュックを無造作にシートに投げ込むと、
すぐに助手席のドアを開けた。
身を屈めるようにして乗り込み、
ふう、と小さなため息をつき眼鏡越しに正面を見据えた。
運転席から横目に様子を窺う。
レイが私を見つけてからここまでの間、お互いまだ一言も言葉を発していなかった。
痺れを切らしてまずは私のほうから投げかけた。
わざと意味のない言葉を選んで。
レイは少し間をおいて
「晴れてよかった。」
と独り言のようにつぶやき、
やっと私の顔を見た。
横目に見ていた私の視線と
首をかしげるように覗き込むレイの視線がぶつかり、
同時に笑みが綻ぶ。
それを合図にしたかのように、
まったく同じタイミングでシートベルトを引いた。
一連の動きがまるで示し合わせたようにシンクロするので、
再び顔を見合わせる。
「気が合いますね。」
明るい声でレイが言った。
「そうだね。」
私も同じトーンで笑いながら返す。
堪えていた嬉しさが一気に吹き上げてくる。
3か月ぶりに見るレイの顔は、
あの日から更にに大人っぽく逞しさが増したように見えた。
「っていうか…わざと真似してる?」
レイが冗談ぽく、鼻の上に皺をよせて言う。
「そっちでしょ!」
久しぶりに聞く肉声。
あまりの嬉しさに言葉を選べず、どうでもいい会話になる。
「一人きりで飛行機乗ったりして…気付かれて騒がれたりしないの?」
「意外に大丈夫ですよ。」
「オーラ消してるとか?」
「オーラなんてないですよ。」
私の言葉に、苦々しい顔をしてみせる。
「そんなことないでしょ。」
その表情が可笑しくて、
私は笑いながらフロントグラスに視線を移すと、
ゆっくりと車を動かした。
「仕事の時以外はフツウの人間、てことですよ。」
不満そうな声。
それでいて楽しそうに笑う。
久しぶりの日本語に戸惑いながらのたどたどしい言葉。
でもそれがとても新鮮で、
そして嬉しい。
本名、潘 厲生 (ハン・リーション)
台湾出身。
バン・レイセイ という日本語読みの名前から、
Ray 「レイ」
というステージネームで呼ばれている。
レイは初めてあったときから流暢な日本語を話していた。
父方の祖母が日本人というクウォーターだ。
幼少の頃から普段の生活の中でも
母国の公用語である中国語と日本語の二か国語を常用していたと聞いている。
だが日本を離れている時間がこうも長いとさすがに勘が鈍るのか、
言葉がうまく出てこず
発音がすこし狂う。
久しぶりに会うとき、
いつも最初のうちはこんなふうにもどかしそうに話し、
そのたびに一見日本人に見えるレイが、やはり
「外国人」なのだ、
ということを強く感じてしまう。
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