庭園

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「ふとした時にぽろっと始まって、そこからはもう止まらなくなって。カフェ中を花びらだらけにしてしまった時はああ、もう、と自分が情けなくなりました」 「気味が悪いって当時婚約してた人に言われちゃって、向こうのお家からも追い出されちゃいました。今はこうしてモデルとして生きているので楽しいですけど、やっぱり常に偏見の目は感じますね」 テレビに映るのは、「不治の病 花吐き病」を特集したニュース番組。インタビューを受けているのはどちらも花吐き病患者だ。 「花吐き病患者特集の時ってさ、いっつも薔薇か桜だよね」 「そんで美人」 「華やかじゃない花吐き病はやっぱり映えないからお呼びじゃないってかー。地味でも花なんだぞ」 「でもいざテレビ局の取材入ったら断るでしょ」 「そりゃ断るけど」 「でしょうね」 コーヒーを飲むふたりの口からは、絶えず花がこぼれ落ちている。 ふたりも花吐き病。ひとりは苔吐き、もうひとりはクローバー吐き。 常時花を吐き続ける、いわば花吐き病末期である。 「お、四つ葉」 クローバー吐きがこぼれた四つ葉を拾い上げる。 「いいじゃん、スーパーでタイムセールやるかもよ」 「今日の買い物当番はあんたでしょ」 「ばれたか」 いたずらっぽく笑う苔吐き。 「早く雨降ってきちゃうから行ってきなよ。車も売っちゃったし」 「はいはい」 「今日ラーメン食べたい」 「いいね。最近食べてないなあ」 「スープは塩でお願いします」 「りょーかい。あれ、小雨?」 「ほんとだ! 早く出な! マグ片付けておくから」 「かたじけねえ」 「いってら!」 「てきまー」 小雨の中、苔吐きはマスクをつけてスーパーを目指す。 「お天気雨だからすぐ止むかな」 ちょっと傘は大げさすぎたかも。 「うお虹! きれい。あとであいつに見せたろ」 パシャ、と大きな虹をフレームに収める。 マスクをしているとはいえ苔はずっと出続けている。下校中の小学生たちが不思議な顔でこっちを見ている。それに気づいた苔吐きは、溢れんばかりの笑顔で 「虹綺麗だよ!」 と、虹の方を指差した。子供たちから歓声が上がった。 社会的には認められつつあるこの病。だけど、今も偏見は残る。 だから、自分は明るく楽しく人として生き抜こうと思ってる。 毎日の些細なことも、大切な思い出にしてく。 「はーいおまちどおさーん」 「やった〜」 フタを開けると湯気が溢れ出た。 「あれから行ってないから半年!?は食べてないのか、ラーメン」 ふたりが病の進行によって、何年も通い続けたラーメン屋に「迷惑をかけるから」と通うことをやめたのは半年前だった。 「うれしー。かいわれ乗っけちゃお」 「…………」 うきうきするクローバー吐きを苔吐きがじっと見つめる。 「なに」 「なんでも」 「なんじゃい、もう。いただきまーす。……うまっ!うますぎる」 「共食いしてる」 「共食いじゃないですぅ。てかさっきからそう思ってたの」 「うん」 「うんじゃないよ」 空になった器。カラン、と音を立てる麦茶。ふたりはソファーに座ってぼんやりとテレビを見ている。扇風機がカタカタ音を立てながら首を振っている。 「あれさーいつだっけ?」 「『庭園』?」 「うん。そろそろじゃなかった?」 「今度の日曜」 「あれ駅からシャトルバス出てんだよね?」 「そうそう。1時間感覚で」 「おっけ」 「どしたの」 「そろそろ長距離歩いたりするのしんどいでしょ? 先に進行してるのはそっちだから」 「そうかな? 走れなくはなったけど、まだそこまでじゃないよ」 「駅の階段登れる?」 「あー………今の文明にはエスカレーターというものがあるので……」 「何時代の人だよ。無理させちゃやだし」 「あざす」 近所のどこかの家が、ピアノを弾いている。たまに間違えてるから、斜め向かいの娘さんかな。 「たまにさ、割り箸か? みたいなメンマあるよね」 「わかる」 「今日のメンマは割り箸だったわ」 「マジか」 「余ってるから食べてみ、ほら」 「……ほんとだこれは割り箸」 「小学生の頃メンマって割り箸から出来てるって思ってたわ」 「あほだ」 次の日曜日。バスを降りると、好々爺が出迎えてくれた。 「ようこそ『庭園』へ。遠かったでしょう、駅からバスで30分は」 「結構距離ありますね」 「うっわすっご! 綺麗!」 クローバー吐きがすぐさま花々に駆け寄る。 「そう言ってくださると嬉しいですね」 門をくぐると、たくさんの種類の花が競うように咲いているのに目を奪われる。 『庭園』と言えど、ここはただの『庭園』ではない。 花吐き病患者は最終的に体の全てが花になり、人らしさを失う。 古くはそれを「死」としてきた。しかし、90年代初期の研究で、花だけになったとしても、意思を持つことが判明した。 実験として、花となった患者の成り果ての近くに、妻と子供が写った写真、そして他人が写った写真を置き、様々な環境下で花を育てたところ、全ての実験で家族や配偶者の写真の方へ向かって花を咲かせたり、蔓を伸ばしたりした。 ある研究者は、完全に花になった患者が、毎日花の蕾から涙のように水を流したとも報告している。 花となっても彼らは生きている。そして大体50年から60年は生きて、ある日唐突に枯れる。 「花吐き病患者は、花となって、人の身体から植物の体に乗り換えたに過ぎない」と研究者は語った。 ここ『庭園』は、花吐き病患者の成り果てを最期まで育てるところ。 妻を花吐き病で失った男性が管理する、この世で1番綺麗で、華やかで、彩り豊かな墓地である。 「自分、苔吐きなんですけど。多分こんな鮮やかなところでは咲けないと思うんですけど」 「大丈夫ですよ。太陽が苦手な方々のブースもあります」 「よかったね」 苔吐きとクローバー吐きは顔を見合わせて微笑んだ。 「苔吐きって自分以外に会ったことないんですけど、いるんですか?」 「たまにいますよ」 「へー」 「大体は薔薇とかガーベラとかなので」 「そうなんですね」 「超今更だけどみんな花吐きらしい花なんだね」 入り口付近の花を見終わると、好々爺が聞いた。 「中を歩きながら説明しても?」 「あ、はい、お願いします」 それから1時間かけて『庭園』を歩いた。 完全に花になるまでの流れ。 役所への届け出。 たくさん難しい話をした。 いつもぼんやりしてる苔吐きが真剣に話を聞いていた。 花になってしまう覚悟を決めた顔だった。 繋いでいたから、わかってた。 微かに手が震えていたことを。 「うわ!?」 『庭園』見学から2週間後。 朝起きてきた苔吐きの顔半分から苔が生えてきた。 「うわ! うわ! ゾンビ!」 「それ自分でも思ったけど言わなかったのに」 「なんかおかしいなーって思って鏡見たらこれ」 「そんな……。一晩で生えちゃうもんなんだね……」 「いよいよだね」 「いよいよかぁ。触っていい?」 「どうぞ」 「うわー……藻……」 「藻ではない」 「もさもさ。これ触られてる感覚あんの?」 「若干。でも鈍くなってる」 「つねってんのに何も言わないもんね」 「どさくさに紛れてつねんないで」 「はー………」 「………」 「コーヒー淹れるね?」 「うん」 床ではルンバが忙しそうに花をかき集めていた。 テレビ番組は今日も同じように同じようなニュースをやって同じようなコメントをしていた。 外から小学生たちが登校する声が聞こえてくる。 「はいよ」 「ありがと」 それから更に1週間後。 苔吐きがコーヒーを飲んでひどくむせた。 「あー、これ喉の奥全部そうだ」 クローバー吐きがライトをあてながら、苔吐きの喉奥を見ている。 「苔?」 「うん、びっしり。……荷物まとめちゃおうか、今日。見た目もリトルグリーンメンみたいになってきたし」 「喉乾いた……」 「コーヒーは無理そう?」 「味ないやつがいい。水……」 「あ、ちょっと待って」 霧吹きを持ってきた。 「もしやと思って買っておいたんだよね」 天然水を入れて吹きかける。 「どう?」 「………おいしい、しみる……すげー補給してるって感じ」 「よかった〜。ちょっとしばらく自分で吹きかけてて。荷物まとめてくるね」 「ありがとう。そっちもしんどいのに」 「いーよいーよ」 夕方、ルンバの電源を切って箱に詰めた。去年買ったばかりだからそこそこの値段で売れた。もともと最低限の家具や服しか持ってなかったから売るのに時間はかからなかった。 「お待ちしておりました。お部屋へ案内しますね」 タクシーを降りると、見学した時と何にも変わらずに、好々爺が迎えてくれた。 苔吐きを車椅子に乗せて部屋に入った。 もう息をするのも辛いはずなのに、目が合うと微笑んだ。 初めて会った時と同じ顔をしてるなと思った。 「……なんか安心したよ。こっちもすぐにそうなるからさ、あまりにしんどいんじゃ嫌だなあと思ってたんだけど、想像よりはマシみたいだね」 苔吐きは答えないが、目は優しかった。 「霧吹きいる?」 小さく首を振られる。 「だんだん、見えなくなって、きた。顔、見せて」 「はい」 じっと覗き込む。とびきりの笑顔で。 「初めて、会った時と、同じ顔してる。泣きそうな、顔」 「……そうかな」 「息を、するのも、喋る、のも、大変、なんだけど、気持ちは、すごく、楽なんだ」 苔吐きが深呼吸する。苔が固まって落ちる。 「君が、そばに、いるから、かな」 「うっっっわ……らしくねー……、らしくねー!!」 茶化した。 でも、涙は抑えられなかった。 症状が進んで、涙すらクローバーの花になるのを今知った。 ボロボロと苔の上にクローバーが落ちた。 「こんな時に限って三つ葉ばっかり」 「お願い、あるんだけど、花の冠、作って。今まで、子供っぽいと思って、言ったこと、なかった、けど」 「作る作るよそんなのすぐ作る! 暇な時練習してたし!」 「やった」 花の冠も、花の指輪も、花のブレスレットも作った。 つけてやると本当に嬉しそうな顔をした。 安心して寝てしまった。 目がさめると、隣にはただ苔の花が静かに咲いているだけだった。 繋いだ手も、耳を寄せた心臓も、ぐしゃぐしゃにした頭もなかった。 「鉢植えに一部植えたので、よかったら一緒に過ごされては?」 おじいさんがあいつを鉢に移してくれた。自分は一日中あいつと一緒に『庭園』の中で何かを眺めながら過ごした。 したかった話も、できなかった話も、口があるうちにすべて話しておきたかった。 そうして何日も経って、鉢植えがガシャンと割れる音を聞きつけたおじいさんが、人としての身体を手放した自分を集めて、割ってしまった苔の鉢植えを新しく作って、その隣に並べてくれた。 日向と日陰だから離されちゃうかなと思ってたけど、ちょうどいいところに置いてくれた。 茎を伸ばして苔に触れると、苔がちょっとだけ生えて離さないでくれた。 ずっとこのまま繋いでいよう。
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