5.狐面男の正体と私の正体

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満足気に言うと、信玄は室内に響き渡るほどの豪快な笑い声を上げ、広間全体を感慨深そうにぐるりと見渡した。     「此度の戦で手に入れた駿河には、夢にまで見た海がある。これでお前らにもっといい飯を食わせてやれるな」 「御屋形様、ありがたきお言葉です」 幸村は嬉しそうに言葉を返す。 「さぁ、もっと飲んで騒ぐがよい!」 信玄様のお言葉に答えるかのように、男たちは酒と料理へ手を伸ばした。先程よりも食事のペースが各々上がっているように見える。 箸を伸ばし次々と食事を進める臣下たちとは反対に、信玄の箸の動きは鈍かった。 「弥彦」 「はい」 「俺の料理はお前が食べてくれて構わない」 「え?ですが…」 「駿河を手中に収めて柄にも無く興奮してるんだ。酒で気を収めてぇんだよ」 そうは言うものの、食欲が無いのか置かれているお膳は全く空いていなかった。 食事だけではなく酒も先刻からそれ程進んでいない。 「信玄様、この場を少し離れてもよいでしょうか」 信玄に頭を下げ申し出を行った。 「どこへ行くのだ?」 「戦でさぞお疲れのようですので、空腹を満たしていただきたのです」 「お前が何かこしらえるということか?」 「お許しさえいただけたら」 「そりゃいい。お手並拝見といくか」 愉快そうに頷きながら許可する意味合いの返事を謙信からいただき、早速料理をこしらえようと調理場へ向かうとそこには様々な食材が揃っていた。 体に負担にならなさそうな野菜と干貝、わかめと言った食材を手に取ると、それらを微塵切りにして米と一緒に混ぜ合わせ、雑炊になるように米が柔らかくなるまでぐつぐつと煮込む。 仕上げに大豆味噌で味付けをすると、完成した味噌雑炊を大広間へと運んだ。 広間には武士たちの飲み散らかした酒の匂いが充満していたが、その匂いを味噌の香ばしい香りがたちまちのうちにかき消した。 「信玄様、こちらをどうぞ」 「ほう、ほんとに弥彦がこれを作ったのか」 「はい、おれは京で小料理屋を手伝っておりましたから、これくらいは作れます」 「そうか。なら早速いただくとしよう」 信玄様は目の前に置かれた茶碗から雑炊をひとさじすくうと口元へとそれを運んだ。           「うん、うまい!」 一口食べると、信玄は美味しそうに唸った。 「お口に合ったようでなによりでございます」 祝宴が始まってからやっとまともに食事を進める信玄様に安堵し、自然と笑顔が溢れた。 生業が小料理屋だからなのか、ご飯をしっかりと食べない人を放って置けない性分なのだ。 「ほんとうに旨い雑炊だな。感謝する」 酒の杯を横に置き、信玄様は作った雑炊を残すことなく完食してくれた。       
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