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私は――この手が欲しかったんだ。ずっと。
チラつく雪の中、何時間でもこのままでいいと思うほど、強く彼を抱きしめた。
***
出張から戻って、またいつもの日常が始まった。
相変わらず夫は安住の地で眠りについて、先輩の嫌がらせは続く。
あれだけパワハラと社内で声高に言うくせに、先輩がパワハラ相談員ではお手上げだ。
課長も苦い顔をしながら、出来のいい先輩を窘めることもしない。
彼は先輩を見つけては、そっと私に用事を頼んで逃がしてくれる。
けれど、うまくいかない日もある。
そう――彼のいないタイミングで、先輩がやってきてしまったり。
「相変わらず遅い仕事してるのね? もう年度末なのにいつまでできない係長やってるの?」
ふわふわ笑いながら言うところが怖い。
じくじくと痛む胃は、彼女の声を聞くだけで即座に反応して鈍痛に変えていく。
たまたま出くわした後輩までが、さらに便乗して口をそろえる。
出来が悪いって可哀想ですね。そんなんで、お子さん育てられるんですか?
ケタケタと笑う声が、今までで一番深くに刺さった。
痛すぎた。
確かに私なんかに、子供は育てられないかもしれない――何もかも忘れて、別の人に縋って抱かれに行くような母親の私では。
ぐっとせりあがってくる涙と胃液を抑えて、倉庫の鍵を掴めないまま勢いで非常階段へと走った。
何の考えもなく、ただ体の赴くままに。
扉を開いて数段降りたところで、上がってきた人にぶつかったのは、本当にたまたまだ。
それがまさか――
「あ……。こ……ぅた……ッ? ひっ、ぅ」
「優花さん、どうした?」
「な、んでも、な……ッ」
ポロポロと呆気なく零れる雫が、あの出張の日の雪のようにはらはら落ちて止まらない。
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