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そんな私を前に舌打ちをすると、功太は場所も構わず抱きしめてくれた。
「泣かされる前に、逃げろよ」
「だ、って……わた、し」
「……ごめん。それができたら、お前じゃなかった」
ほんの少しだけ抱きしめる腕を緩めて、優しくそっと唇で私の涙をぬぐう。
それにうっとりしながら目を閉じると――上からヒッ、って声が聞こえた。
途端にザーッと煩い、テレビの砂嵐が見えた気がした。
―――
最悪にも、私たちの様子を見ていたのは、先輩だった。
私たちに話しかけることもなく、その足で駆けて行った先は、人事課。
汚らわしい、最低だと騒ぎ立て、私と功太のことは一大スキャンダルとなった。
その後は……一生を一気に駆け抜けたかのようなスピードで過ぎていった。記憶も断片的で、曖昧になっている。
けれど、はっきりと記憶していることも、いくつかある――
キスをしていたわけではないからセーフだと必死に言い訳を考える私を他所に、功太は全てを認めて謹慎を甘んじて受け入れた。
私はストレスのあまり社内で倒れて、そのまま病気休暇に付された。
年度末の慌ただしい時期に、2係長が不在で会社がどうなったのかは知らない。
それから――彼も、私も。
4月から他県へ異動させられ2度と本社に戻ることはないとのお達しを受け、厳しい制裁がなされた。
夫とは、離婚した。
親権を争うこともなく、私は夫に全ての判断を委ねた。
「お前が裏切るだなんて、考えたこともなかった」
甘んじた生活を送っていたことを、その時ようやく夫は悟ってくれたのかもしれない。
苦く笑う顔に、こんな顔をさせてしまったことを少し後悔した。
けれど、夫は悪かったと言う反面、離婚を撤回することはしなかった。
派手なスキャンダルを築いたお前と、一緒にはいられない。キッパリと突き付けられて、私も目が覚めた。
この人は、私を助けてくれる人ではないことにようやく気付いた。
そして……生ぬるい恋愛をしていたことを悟った。
結婚は、その延長だったことも。
愛って、何? --楽しくもないのに掠れた声で小さく笑った。
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