勇者が迎えた奥様は:前編

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

勇者が迎えた奥様は:前編

 長らく大陸の国々を脅かした魔族の王が、一人の勇者に倒された。  王都に凱旋した勇者は、人々に熱狂的に迎えられた。国王は莫大な褒賞金と最高の騎士の位の名誉、そして国王の第一王女――つまりは次期国王の座――を与えようとしたが、勇者は首を横に振り、宣ったという。曰く。 「私に栄誉は必要ございません。ただ、穏やかな一人の民としての生活をいただければ充分です。それらは私より更に相応しき家臣の方へとお与えください」  国王の下賜を断るなど不敬にも過ぎる、と憤った者もいた。しかし温厚な国王は勇者の謙虚さに深く感じ入り、 「そなたの願いを叶えよう。今後我々がそなたの市井の生活に踏み込む事をしないと、約束しよう」  と、餞別金を贈って、王都を去る勇者を見送った。  そして、定期馬車も走っていない、道路も舗装されていない、辺境の田舎村に腰を据えた元勇者は、その栄光からはかけ離れたつつましい生活を送り始めた。  朝早く起きて、稜線の向こうから昇る太陽の光を浴びながら体操。それが終わると鍬を持って、村人達と共に畑を耕し汗を流す。午後は村の子供達に木剣を握らせ、昔取った杵柄で剣技を伝授する。魔王がいなくなった平和な時代に戦いの技など不要と笑う者もいたが、辺境には、獰猛な獣や、荒れた時代の名残である盗賊が現れる。自衛の為に必要な手段であった。  そんな彼の傍らには、一人の女性がいた。背が高くすらりと細身で、艶やかな黒髪を長く伸ばし、長い睫毛の下の瞳はまるで水宝玉(アクアマリン)。すらりとした鼻筋の下には、常に微笑みを浮かべた血色の良い唇がある。  彼女は、元勇者の為に朝昼晩と食事を作り、木の実のシチューの香りを村中に漂わせる。村人達が聞いた事の無い歌を口ずさみながら機を織り、出来上がった布を縫って見事な服に仕立て上げる。世界に二つと同じ模様が無い服は、村を訪れる商い人に高く売れた。  そんな元勇者夫婦を、もっと交通の便が良く、施設も整っている場所へ誘う者もいなかったわけではない。だが、「今後我々がそなたの市井の生活に踏み込む事をしないと、約束しよう」という国王の言葉は絶対で、元勇者も頑として首を縦に振らなかったので、夫婦が村を離れる事は無かった。  そんな穏やかな生活を送る、幸せそうな夫婦に対して、村人達が不思議に思う事があった。妻の女性である。彼女は外に出る時どころか屋内でも、ふんわりとした頭巾で頭をすっぽりと覆い隠して、決して人前でそれを取らなかった。 「頭のてっぺんは髪が無くて、恥ずかしいのかもしれんよ。年頃の娘さんだからねえ」 「あんなに綺麗な黒髪なのに、惜しいものだよ」  村の女衆は井戸端会議で顔を突き合わせて、憶測を立てた。  しかし、運命というものは残酷で。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!