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勇者が迎えた奥様は:後編
ある日、木の実を拾いに外へ出た元勇者の妻に、遊び回って前を見ないまま走っていた子供がぶつかったのだ。軽い身体同士といえど、相当の勢い。妻はよろめいて地面に倒れ、その拍子に、頭巾が外れてしまった。
その下から現れたものを見た子供達は、揃って悲鳴をあげた。
耳は尖り、山羊のような曲がった角が、頭の両脇についている。明らかに人間ではない、魔族の証であった。
妻はあっという間に村人達に囲まれた。魔族の女がいる。今すぐ殺すべきだ。勇者は我々を騙していたのか。黒い言葉が渦を巻いて浴びせかけられ、妻は両手を組んで涙目になり、かたかたと震えていた。
そこに、話を聞き畑仕事を放り出した元勇者が駆けつけ、村人達に語ったのである。
「私の妻は、魔王の娘。私は、魔王から遺言を預かったのだ」
「大陸を支配するという我が野望がここで途絶えるならば、我はそれを運命として受け入れよう」
勇者の剣で貫かれた魔族の王は、血を吐きながらも、勇者に向かって、懇願するように手を伸ばした。
「だが、一人娘を残して逝く事が気がかりだ。我の庇護が無ければ、何の力も持たぬあの子は、たちどころに人間達に狩られてしまうだろう」
それを聞いた勇者は、一瞬唇を引き結んで考え込み、しかしすぐに口を開いて、「ならば」と魔王に告げた。
「私がそなたの心残りを消そう。私の力で、そなたの娘を守り続けよう」
人間達の、魔族への恐怖と反感。それは数年、数十年は残るだろう。その悪意から魔王の娘を守ると、勇者は決めた。魔王の娘も、父の意を汲んでくれた勇者に瞬時に心奪われ、二人は父の亡骸の前で、誓いの口づけを交わした。
「彼女には、人間に危害を加える気も力も無い」
それでも、と低く呟いて、元勇者は剣を構えるかのように、畑を耕していた鍬を握り直す。
「それでも、彼女を排すると言うのなら、私が相手になろう。遠慮無くかかってくるが良い」
村人達は顔を見合わせた。元勇者の実力は皆が知るところだ。村の大人が束になってかかったところで、敵うはずが無い。それに、彼の妻が今まで村の為に尽くしてくれた事は、たしかな事実である。
一人が一歩引き下がる。それにつれて、村人の包囲は解けてゆく。
誰も、魔王の娘を否定する声をあげる者はいなかった。
それからというもの、耳と角を頭巾で隠す必要のなくなった魔王の娘は、一際明るくなった。魔族だけが知る歌を高らかに歌って機を織り、女衆との井戸端会議に参加してころころと笑い声を弾かせ、子供達に木の実のクッキーを振る舞った。
村人達と完全に打ち解けた妻を見て、元勇者もますます畑仕事に精を出すようになった。
そしてある日、魔王の娘は、夕飯の席で、頬を朱に染めながら、もじもじと夫に告げたのだった。
「あの、できたみたいです。赤ちゃん」
その後の二人がどうしたかって?
家族が増えたそれからの日々も幸せに暮らして、長寿の魔王の娘が勇者を看取り、彼女も先年、やっと愛しい夫のもとへ旅立ったよ。
二人の間に生まれた子供は、幸福な二人の生き様を旅先で語って、人と魔族はわかり合える事、勇者は本物の大陸の救い主だった事を皆に伝えているのさ。
その子は今もどこかの旅の空の下。
あるいは、お前さんの目の前に、いるかもね?
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