零れたミルクに慟哭を

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零れたミルクに慟哭を

「後輩よ、”覆水盆に返らず”という言葉を知っているか?」 「えぇ、まぁ。零してしまった水は、水が入っていた盆には戻らない。転じて、一度起きてしまったことは二度と元には戻らない、という諺ですよね」 「うむ。英語では水ではなく牛乳だったりするが、私はこの諺について、常々疑問を抱いているのだよ」 「はぁ。いったいどんな疑問を?」 「それは、本当に”零れた盆に戻らないのか”ということだ」 「え、普通に考えて無理じゃないですか?」 「無理、とは?」 「まず、一般的にその諺の起源とされているのは、出世した太公望に元嫁がよりを戻そうと迫り、それに対して水を零して、これを盆に戻してみせよ、と言ったという逸話だとされています」 「うむ。諸説はあるが、概ね有力とされているね。続けて」 「太公望は紀元前11世紀頃の人物です。と、なれば、それを言った場所が室内であったとしても、フローリングは勿論、板張りの床ですらなく、室外と同じ。つまり、土であると考えられます」 「なるほど、確かに土に染み込んだ水を回収するのは難儀だろうね。けれど、難儀というだけだ。不可能ではない」 「理由はまだあります。よしんば土を搾り取って、濾して、全く同じ量だけ水を回収できたとしましょう。しかし、それは、本当に元に戻ったといえるのでしょうか」 「ふむ。その根拠は?」 「先輩は、ポール・ワイスの思考実験を知っているでしょうか」 「うむ。試験官に入れたヒヨコを磨り潰したとき、何が失われるか、という問いだね」 「そうです。あの問いからは、成分的には何ら変わりはなくとも、同じものではない、ということがいえます」 「何となくニュアンスが違うような気もするけれど、まぁ、いいとしよう。それを根拠として言いたいことは、全くの同一であるものなど存在しない、ということだね」 「はい。そうでなければ、遺伝子的に同一の双子は、常に同じ行動をすることになります」
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