ゴーストとティータイム

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   ◇   ◆   ◇  ロイクが言った『船の中は安全が保障されている』という言葉はどうやら本当だったらしいと、その理由をハーヴィーが知るのに然して時間はかからなかった。 「つまりお前がマフィアの次期後継者だと…?」  ロイクの正体を知った数日後。ハーヴィーはロイクとともにフレデリックの部屋を訪れていた。 「そう。正確には今のボスの養子だけれどね。僕としてはボスって柄じゃないから、アンダーボスのポストを狙っているけれど」  何事もないかのような口振りで話すフレデリックを、ハーヴィーは唖然と見つめるしかなかった。よくもまあ今までおくびにも出さず友人だなどとほざいたものだと感心すら覚える。  フレデリックの話によれば、セキュリティー部門そのものが組織の人間で構成されているというから驚きだ。 「道理でガラの悪い連中が揃っていると思えば、そういうことか」 「失礼だね。僕のどこがガラが悪いって言うんだい?」 「あなたは黙っていてくれないかロイ、話がややこしくなる」  ぴしゃりとハーヴィーが言い放てば、フレデリックがくすりと笑った。 「キミもなかなか、ロイの扱いに慣れてきたようだね」 「そんなことはどうでもいい。船の中は安全だとしても、私の身内はどうなる」 「身内? まぁ危ないかもしれないね。けど血縁者という訳でもないんだろう? 君を育ててくれた神父も亡くなったって言ってなかったかい? だったら別に関係ないじゃないか」  フレデリックの台詞に言葉を失う。いつから、この男はそんなことを言うようになったのか。否、これまで隠していただけで、こちらが本性なのだと今ならば理解が出来た。  何も言えずにいるハーヴィーの目の前で、だがフレデリックが困ったように肩を竦める。 「まぁ、キミのその様子じゃあそうもいかないようだね。予想はしていたけれど、そんなに冷たい目で見られるとさすがに僕も寂しくなるよ」 「冗談にしては面白くないからな」 「そうだね。僕が悪かった」  素直に謝罪するフレデリックに頷いて、ハーヴィーは目の前のティーカップを持ちあげた。  詳しい事情はフレデリックを交えた方がいいとロイクに促され、ハーヴィーはフレデリックの元へとやってきた。だが、フレデリックは事あるごとにハーヴィーを試すような台詞を繰り出してくる。話を聞けば、フレデリックの協力を取り付けなければどうにもならないと分かっていても、自然と声が低くなる。  紅茶の香りが鼻孔を通り、ささくれ立ちそうになる神経を僅かに落ち着かせてくれた。 「事情は分かった。だが…」  幸い、間もなく『Queen of the Seas』はサウサンプトンへと帰港する予定だが、船の仕事を放ってイギリスに滞在している訳にはいかない。 「教会の方はファミリーの手が回るまでに少し時間が掛かると思う。それまでに僕の部下を手配しよう」 「可能なのか!?」 「僕が不可能な話をすると思うかい?」  ロイクと同じような台詞を吐いて、フレデリックは自信ありげに笑った。 「しかし…お前の部下という事はやはりマフィアなんだろう…?」  ハーヴィーが大丈夫なのかと問いかけたくなるのも無理はなかった。もし、フレデリックの部下の中にひとりでも裏切り者が居たらと思うと気が気ではいられない。 「キミの心配はもっともだけど、安心してハーヴィー。教会へは直属の部下を送るから」 「裏切らないという保証はないじゃないか…」  金に目が眩む者、欲に目が眩む者。疑い始めればきりがない。  沈んだ面持ちで俯くハーヴィーの肩を、ロイクがそっと抱き寄せた。 「ハーヴィー、君が何を考えているかは分かるけれど、フレッドの部下なら心配は要らないよ。何といっても、彼は部下たちの間ではそれはもう恐れられているからね。歯向かおうなんて馬鹿な人間はいない」 「そう…なのか…?」  ロイクを見上げるハーヴィーの耳に、渋い声が流れ込む。もちろん声の主はフレデリックだ。 「要らない情報を吹き込む必要はないんだよ、ロイ」 「要らない? ハーヴィーの不安を解消するために必要な情報を僕は提供しただけの事だよ。ハーヴィーが安心するなら、僕は君が部下たちに何と呼ばれているかも教えてあげるつもりだけれど?」 「あなたがそこまで愚かだったとは驚きだよ。ここで僕の機嫌を損ねることが、あなたの大事な大事なハーヴィーにどう影響するか、あなたには理解できないらしい」  また始まったと、ハーヴィーは頭を抱えたくなる。顔を合わせれば互いに罵り合いを始めるロイクとフレデリックは、もはや何を言っても無駄だった。  ――同族嫌悪というやつか…。  あまりにも似すぎているがゆえに、お互いを認めることが出来ないのだろう。と、ハーヴィーは勝手に解釈している。否、聞いている限りただのマウント争いなのだからどうしようもないのだが。 「ロイ、少し黙っていてくれないか。あなたが口を開くと話が進まなくなる」 「君が不安がっているから心配してあげたっていうのに、君はフレッドの肩を持つっていうのかい?」 「私が大事だというなら協力を申し出てくれたフレッドに一緒に感謝してくれてもバチはあたらないくらいだが?」 「どうして僕が…!」 「だったらせめて黙っていてくれ」  フレデリックの言う通り、ここでフレデリックにヘソを曲げられてしまったら血の繋がらない兄弟たちがどうなるか分からない。彼らには、なんの非もないのだ。 「すまないフレッド、頼めるだろうか」 「もちろんだよ。キミは、数少ない大切な友人だからね。それに家族だ」  にこにこと上機嫌のフレデリックには些か不安を覚えるが、背に腹はかえられなかった。  フレデリックの部屋を後にして、ロイクとともに部屋へ戻れば不満の声が耳に届く。 「僕よりもフレッドを優先するなんて…」 「ロイ…」  すっかり拗ねきったロイクを振り返れば、じっとりと恨めしそうな瞳がこちらを睨んでいた。部屋の中を戻り、ドアの前のロイクを抱き締める。 「あなたには、そばで私を守っていて欲しい」 「君はいつからそんなにご機嫌とりが上手くなったんだい?」 「あなたがいつまでも子供のように拗ねているからだろう」 「けど、その程度じゃ僕の機嫌は直らないよ」  ふぃとそっぽを向いてしまうロイクに苦笑を漏らし、ハーヴィーは僅かに思案した。 「では、どうしたらあなたは機嫌を直してくれるんだ?」  ちらりと視線を寄越しながらロイクが呟く。 「君が上手に甘えてくれたら、かな」 「あなたはいつもそれだな」 「フレッドには君から迫ったんだろう?」 「なっ、なにをいきなり言い出すんだ!」  ハーヴィーは思わずロイクを突き飛ばした。が、残念ながらよろけたのはハーヴィーの方だ。 「…ッ」 「あぁ、大丈夫かい?」  何事もなかったかのように腕を掴まれる。体格差というよりもはや、ハーヴィーとロイクでは躰のつくりが違うと気づくには充分だった。 「突然そんな事をしたら危ないよ? 僕だから良いけれど、誰かに怪我をさせたら大変だろう?」 「あなた以外に私がこんな事をするはずがないだろう…」 「どうせ僕だけにするなら、もう少し可愛らしい君がいい」 「かわ…っ!?」 「せっかく君の方から抱き締めてくれたのにすぐに離れてしまうなんてもったいないからね。もう少し、こうしていて?」  あっという間にロイクの腕に抱え込まれ、ハーヴィーは溜息とともに抵抗を諦めた。ロイクがおやという顔を見せる。その唇を無言で奪えば、碧い瞳が僅かに見開かれた。 「ん、ハ…ヴィ…?」 「黙れ。相変わらず雰囲気も何もないなあなたは」 「だって、君にこんな事をされるなんて夢みたいじゃないか」  うっとりと微笑むロイクの表情が、艶やかなあの晩のフレデリックに重なる。 「ッ…」 「僕にも欲情してくれる?」  ゆっくりと近づくロイクの美貌を、ハーヴィーはぼんやりと見つめた。 「ロイ…」 「黙って?」  温かな唇が重なる。少しだけ乾いた唇が艶やかに濡れるまで、そう時間はかからなかった。  唇を割り開いた舌先に歯列をなぞられ、背筋をぞくりと淡い痺れが走る。徐々に躰の力が抜けていくのをハーヴィーは感じた。 「っ……ふ」  透明な糸がふたりの唇を結んだ。開いたままのハーヴィーの唇からは、熱い吐息が零れ落ちる。  崩れ落ちるハーヴィーの躰をロイクが抱き留めた。 「可愛い僕のハーヴィー。今夜こそ僕のものになってくれる?」 「嫌だと言っても、どうせ無駄なんだろう…?」  既に躰を抱え上げられたハーヴィーに逃げようなどない。逞しい腕の中で、ハーヴィーはロイクの首へと手を伸ばした。見かけよりもしっかりとした首を僅かに引き寄せれば、啄むような口づけが降ってくる。  あっという間に部屋を横切って、ハーヴィーは寝台の上へと下ろされた。  柔らかなスプリングを背中に感じて、否が応にも躰が緊張に硬くなる。ロイクの大きな手がジャケットのボタンにかかり、ハーヴィーはそっと目を閉じた。  暗闇の中から、嬉しそうな声が聞こえてくる。 「今日は、待てって言わないんだね」 「……言ったら…あなたはやめてくれるのか?」 「そうだなぁ。本当に君が嫌だというならやめてあげるよ?」  蟀谷に口づけながら囁かれ、ハーヴィーは目蓋をあげた。 「……なら、私の口をずっと塞いでいてくれないか…」  顔が、熱かった。頬を挟むロイクの手がひんやりと心地良いほどに。 「君の口からそんな言葉が聞ける日が来るとは思わなかったな」  嬉しそうにそこかしこに口づけられて、くすぐったさにハーヴィーは首を竦めた。 「っや…むぐぅ、んっ」  すぐ間近にある碧い瞳が楽しそうな色を浮かべてハーヴィーを映し出した。息苦しいほど深い口づけに翻弄される。 「は、…っぅ、ロ…ィ…」  苦しいと、そう訴えたくて名前を呼べば髪を優しく撫でられる。まるで子供を褒めるような仕草がどうにもこそばゆくて、ハーヴィーはロイクのシャツを背中から引っ張った。 「うん? 苦しかったかい?」 「……撫でるな…」 「どうして? せっかく君の全部を愛撫してあげようと思ってるのに」  言っているそばからまさぐるように布地を這うロイクの手が、ハーヴィーの片足を引きあげた。抵抗する間もなく大きな躰を両足の間に割り込まされる。 「待っ…」 「待たない」  こつりと、額を合わせたロイクはきっぱりと言い切った。 「もう待てないよ、ハーヴィー」  求めるような声音が耳に心地良い。首に絡めた腕でロイクを引き寄せる。 「我慢なんてあなたらしくもないな…」 「僕の優しさを分かってくれた?」  碧い瞳から逃げるように、首筋に顔を埋めてハーヴィーは言った。 「それは分かったが、私を抱く気なら気が変わる前にしておけ」 「そうしよう」
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