ボールペン

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「申し訳ありません、少々お待ちいただけますか?」  先月入社してきた新人の◯◯。たった今、電話口の対応をしながらメモを取ろうとしている。だが、どうやらボールペンが見当たらないらしい。  仕方なく俺が使っているボールペンを渡そうとしたときだった。 キュポ。小気味いい音と共に、彼は自分の人差し指を引っこ抜いた。何事かと思ってしばらく様子を見ていると、外した指が付いていた部分にペンの先と思しき尖りが見える。それを使ってメモ帳に何やらカリカリと書いているらしいのだ。  電話が終わるまで待ってから、聞いてみた。 「さっきのあれは何だったんだ?」 「あれ……ですか……?」  どうやら何のことを話しているのかわからないらしい。 「さっきの電話中に指を引っこ抜いていたあれだよ」  俺が言いたいことが分かったのか、彼は、ああ、あれですか、と言って説明を始めた。 「あれ僕の体の中に入っているインクを使って文字を書いているんですよ」  ……いや、まあそんな具合だろうと思っていたけれど、実際に聞くとやっぱり現実味がない。そもそも一体どんな仕組みで……?  俺がしばらくウンウン唸っていると、彼はまた話し出す。 「実際に見てみます?」  言うや否や、再び右手の人差し指を引っこ抜いた。  キュポ。何度聞いても爽快な音だ。だけれど冷静にこの現状を見つめてみるとやっぱりおかしい。  そんなふうに俺が考えているのを知ってから知らでか、メモ帳の上にバネのような模様を何度も書き始めた。ペン先はサラサラと進む。非常に書き心地が良さそうで、思わず俺まで欲しくなってきてしまう。  でも、インクの補充とかどうするんだろう。……インク。  ……ちょっと待て。体の中に入っていて、おそらくインクの代わりにもなるであろうもの、と言ったら。 「なあ、ちょっと気になったんだけれど、その指先から出てくるインクってもしかして……血?」  もしそうなら恐ろしいことだ。物書きなんかに使われる表現で“命を削って書いている”というのがあるけれど、これはまさに読んで字の如くというか、実際に命を削っていることになる訳で。 「あ、いえいえ、違いますよ。これは血液を含む全ての体液を必要としないペンなんです」 「じゃあ一体、何を使って」  彼は少し考え、小さい声で言った。 「ここでは何ですし、ちょっと場所を変えましょうか。丁度昼ですし」  腕時計で時間を確認すると、確かにいつの間にか十二時になっていた。  定食屋で昼をとることにした。料理が来るのを待っている間、話の続きを促す。 「で、インクには何を使ってるんだ?」  咳払いをしてから話し出す。 「人の感情、です。インクの色によって必要な感情は違うんですけどね」 「インクの色が変えられるのか?」 「はい」 そう言って彼は、ボールペンになっている指先を左右にカチカチ捻った。 「今の状態から右に回すと赤。左に回すと青が出ます」 「ほう」 「他にも色のバリエーションはありますが、この三色の使用頻度が一番高いので」 「そう、なのか」  当たり前のように話す様子を見て、たじろいでしまう。そのうち話の続きが始まった。 「赤色のインクはプラスの感情が周囲に漂っているときに集まって、青色は逆にマイナスの感情のとき。そして黒いインクなんですけど」 「うん」 「何かに対する不満とか、愚痴とか、そういう、何というか……。そういう感じのやつです」 「ああ、うん。なるほどね。そっか」  何と言っていいか分からず、曖昧に返事をする。  このタイミングで料理が到着する。話を聞くのに乗り出していた身体を引っ込める。味噌汁から湧き立つ湯気を眺める。 「ご注文は以上ですかね」と配膳のおばあちゃん。「はい、そうです。どうも」小さめの声になったそれを聞くと、「ごゆっくり」そう言ってからレシートを置いて立ち去っていった。   「で、やっぱりインクが溜め込める許容量があるんですけど、その量を超えちゃうと目から溢れてきちゃうんですよ、インク」 「いや、怖いな!?」 「だから僕は、夜な夜な枕元で黒い涙を流すんです」 「その言い方したらちょっと誤解を招くぞ?」  彼は笑いながら話を続ける。 「あと、プラスの感情が集まりすぎるとそれもまずいですよね」 「え?」 「赤色のインクが集まりすぎるから、みんな喜んでる中で僕一人だけ血の涙流してるみたいな」 「やめろ! 怖い怖い」  カラカラと笑う声。楽しそうで何よりだったが、赤色のインクが集まりすぎて血の涙(本物ではないが)を流し始めないか、正直、気が気でなかった。
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