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鉄筋青春ロマンス②
威嚇のつもりだったのだろう。
が、男が冷ややかな目を向け微動だにしなかったせいで、相手は引っ込みがつかなくなり、小刻みに揺らす鉄パイプを振り下ろした。
不安定な軌道で振り下ろされた鉄パイプは男の太い腕に叩きつけられた。
まともに打撃を受けてよろめいた男を、鉄パイプで叩いた本人も連中も呆けて見ていた。
馬鹿笑いしたり囃したてたりせずに。
というのも、男が少しも避けようとせずに突っ立ったままでいたからだ。
避けられないほど、どんくさいようには見えない。
意図があってわざと打たれたとしか思えず、果たして「ばっちり動画に撮れたな」と顔を上げた男は鼻で笑ってみせた。
「これでお前らを警察に突き出せる」
「警察」の一言に連中は思わずといったように辺りを見渡す。
リーダー格だけは「寝言、吐いてんじゃねえよ!」と吠えたものを、声が裏返りそうになったあたり、動揺を隠せていない。
「ど、動画たって、こっちが不利なもん流すわけねーじゃん。
ほら、もう消したってよ」
鼻で笑って返したリーダー格に、聞こえよがしに男は「ほんと、お前らは猿以下の頭してんな」とため息を吐く。
リーダー格が吠えてくる前に「ほれ、見てみろよ」と顎をしゃくってみせた。
一斉に見上げた先には天上に張りつけられたドーム型の監視カメラ。
連中らがぽかんと見入っている間に「今のカメラってのはすげえらしいな」と説明がされる。
「異常を検知すると、前後数分を録画して警備会社に知らせるんだとよ。
で、警備会社の判断で警察に通報もする。
未成年の不法侵入、暴力沙汰ってえなると通報するだろ」
「もう警官が向かっているんじゃないか?」と外のほうを見やる男に対し、リーダー格は歯軋りをするばかり。
他の連中は顔を見合わせるばかりだった。
やっと口を開いたと思えば「くそ」とリーダー格が悔しそうに吐き捨てただけで、それが合図だったように連中は背を向けて階段のほうに退散していった。
階段を降りていく足音が聞こえなくなってから、柱から顔を出して男を見やった。
男のほうはまだ警戒を解いていないらしく階段のほうを睨みつけている。
声をかけてもいいものか。
どう言うのが適切かと、考えあぐねているうちに、腕に手を添えた男が振り返った。
男の腕を見て、鉄パイプで打ちつけられたのを思い出し「病院に」と思ったものを、言いだす前に「そこの棚に救急箱があるから、持ってきて」と何かを投げて寄こしてきた。
受けとって見れば鍵だ。
棚は男の視線の先、俺の少し後ろにある。
取っ手につけられていた南京錠を鍵で開け、赤い十字マークが描かれたプラスチックの箱を手に持って男の元に駆け戻った。
床に胡坐をかいている男の前にしゃがみ箱を差しだすと、蓋を開けて消毒液とガーゼを取り出して俺の腕を引っ張った。
引っ張られたからだけではない鋭い痛みが走って、見ると腕に切り傷がある。
逃げることに必死で気づかなかったらしい。
それにしても鉄パイプで殴られた男の怪我に比べれば粗末なものだ。
「いや、俺より」と腕を引き戻そうとしたものを「現場を汚されちゃ困るんだよ」と神妙な顔をして消毒液を丁寧に塗られては何も言えなくなってしまう。
やけに慎重な手つきで触ってくるから、謝罪とか感謝とか伝えるのも躊躇われて黙ったまま、治療しやすいよう大人しくしていた。
ガーゼをテープで貼り終っても男は顔を上げずに、「他に痛いところはないか?」と腕を揉んでいった。
隠れたダメージがないか確かめているのだろうけど、マッサージされているようでむず痒い。
「俺よりもあんたの腕のほうが」と思いつつも「大丈夫」と言おうとしたところで、「お前、不良じゃないな?」と唐突に言われた。
「え?は、何・・・」
「俺は格闘技が好きで選手のことをよく見ているから分かる。
お前の筋肉のつき方は、スピード重視のムエタイの選手に近い。
必要最低限の筋肉をつけた無駄のない体つきだ」
丹念に腕を触られた上に「無駄のない体つき」と言われては、頬が熱くもなる。
腕を見入っている男から目を逸らして「いや、そんな、たいそうなものじゃ・・・」とぼそぼそと応じた。
「ただ、叔父がボクシングのジムをやっていて。
昔から習っていたってだけで・・・」
「じゃあ、なんで反撃しなかったんだ?」と言われるのではないか。
そう先走って考えてしまい、慌てて「いや、でも、叔父にはいつも言われているんです!ジムや大会以外で技を見せることは決していけないと、だから、それで」とまくしたてる。
急に声を張ったからだろう。
顔を上げ目を丸くした男は、でも、みっともなく慌てる俺を笑うことなく、黙って腕を放してくれた。
その手で俺の頭を撫でて「へえ、偉いじゃないか」と微笑をする。
「俺は格闘家のことを尊敬している。
けどな、さっき言ったみたいに不良とかDV男とか、日常で暴力をふるう奴は死んでしまえって思う。
正当防衛や反射的なのは仕方ないけどな、自慢したくて見せつけるようなのは万死に値する」
「死んでしまえ」「万死に値する」と物々しい言葉を口にしつつ、俺に向ける眼差しはひどく優しげだ。
「無駄のない体つきだ」と言われたときのように恥ずかしくなり顔を俯けると、くしゃくしゃに髪をかき混ぜられ「ていうか、敬語は使わなくていい」と弾んだ声で言われる。
「お前、高校生だろ?
俺もまだ高校を卒業してニ年しか経ってなくて、そう先輩ってわけでもないんだから」
「え、俺と三歳しか違わないの?」
目を見張り前のめりになると、男や眉間に皺を寄せて俺の頭から手を放した。
その表情の意味するところは分からなかったけど、思わず「いいな」と言えば、「いい?」とやや眉間の皺を浅くしたようだ。
「高卒でこんな、きちんと働けているなんて。
俺、ここの工事現場をずっと見ていて。
見るたびに、どうやったら人はこんなすごいもの作れるのかなって感心していた。だから」
「なんだお前、高卒で働きたいのか?」
男も高卒で働いているだろうに、それでも意外そうに見てくる。
何かと補助を受けられることもあって、高校進学のハードルが低い今の時代にあっては珍しいのかもしれない。
ただ、叔父に面倒を見てもらっている立場であること。
その叔父の経営するボクシングジムが儲かっていないことを考えれば、妥当な判断だと思う。
問題は叔父が大学進学を望んでおり、まったく折れようとしないことだ。
「今時、大学出でないと格好がつかない」「就職に不利になるから」と一般論を説いてくれれば反発しようもあるけど、「大学卒業するまでは面倒見させてくれよ」と泣きつかれては抵抗がしにくい。
叔父のその思いが、罪悪感と贖罪意識に由来しているともなれば余計だ。
なんて、諸事情を初対面の相手に話すわけにもいかず、他に適当に返す言葉も思いつかなくて黙りこんだ。
急に殻に閉じこもった俺に、てっきり男は困っているものと思ったのだけど「もし高卒で働くのが不安なら」と思いがけない言葉をかけてきた。
「俺がどうやって就職先を探して、就職した後、どんな経験をしたか教えてやろうか?」
俺が先行きを不安がっていると思ったらしい。
その見方は的外れだったけど、男は真面目に心配してくれているようだった。
初対面の、しかも不法侵入してきた高校生なんかを。
ここしばらく散々な日々を送っていたせいか、さりげない男の気遣いに触れて不覚にも泣きそうになった。
誰にも悩みを打ち明けられず頼ることもできず、ずっと一人で抱えこんでいたものを、この男に聞いてほしい。
なんて、うっかり誘惑に負けそうになったところで短い着信音が鳴った。
とたんに心臓が凍りつくような思いがして、取りだしたガラケーの画面を見てみると「三日目終了。今日も楽しかったよ☆」と書かれていた。
夕日が落ちて辺りは暗くなりつつあり、工事現場にある橙の照明が下から差しこんでいる。
橙の明かりに照らされた鉄筋の骨組みは内側から見ても幻想的で、つかの間でいいからこの場で男と語らい現実逃避をしたかった。
が、送られたメールはつかの間でも俺に安息を与えてくれないらしい。
「どうした」と男が声をかけてきたのに、ガラケーを閉じて俺は勢いよく立ち上がった。
ぎょっとしたように見あげてくる男の額にぶつけんばかりに「色々とありがとうございました!」と頭を下げる。
「すみませんが、今日は早く帰らないといけないので!」と顔を上げたなら、男の顔を見ないようにして素早く背を向け全速力で階段のほうに走っていった。
恩人に対して非礼を働いているのは分かっていた。
おそらく男は気分を害したか呆れただろう。
呼びかけることも追いかけてくることもなかった。
そのことが寂しく胸が痛まないでもなかったけど、俺のことを一刻も早く忘れたほうが男のためになると、走りながら何度も自分に言い聞かせた。
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