鉄筋青春ロマンス④

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鉄筋青春ロマンス④

母親が入れこんだ新興宗教は性的な行為をするのはもちろん、匂わせる話をしたり想像してもいけないという戒律があった。 母親が俺の養育を拒否したのは、そのせいもあるのだろう。 幼いころには、裸を見たくないという理由でお風呂に入れてもらえなかったのだ。 成長して男性性を増していく俺の傍にはとてもいられなかったのだと思う。 そうして俺を避けてくれているだけなら、まだよかったのだけど。 幼いころの俺はよく汗もができていた。 太もものあたりがひどくて、パンツのゴムが食い込むから余計に痒かった。 我慢できずに股をかくと、とたんに母親の叱責が飛んできた。 「子供なのになんて汚らわしい!」と。 幼くて「汚らわしい」の意味がとらえきれなかったけど、軽蔑され嫌悪されたことは伝わり、とてつもないショックを受けた。 今なら母親の過剰反応だと受け流せるとはいえ、当時は大罪を犯したような気分にさせられたものだ。 叔父がいるときも、俺を叱責したことがあり、そのときは叔父が母親を諭し「お前が悪いことをしたわけではないんだよ」と俺に言い聞かせてくれた。 が、それから母親は叔父のいないときに「汚らわしい」「嫌らしい」「子供なのに不純だ」と罵るようになり、対して俺はうな垂れてひたすら耐えつづけた。 叔父に救いを求めたかったとはいえ、なにせ性的なことだ。 幼心にも恥じらいのようなものがあったし、母親に責められているとあっては疚しくも思えて、とても人に話せなかった。 で、犯していない罪を責められつづけ、何に償えばいいのか分からない罪悪感を深く植えつけられ、俺は思春期にしてインポになった。 インポというか性嫌悪に近いけど、俺の場合は強迫観念によるものかもしれない。 性的なことを少しでも考えると聞こえてくる母親の叱責。 幻聴と分かっていながらも、「ほら、俺は興奮していないよ」「全然、反応していないよ」と幻の母親に訴えないでいられなく、その言葉を証明するように大袈裟に嫌悪してみせる。 幻の母親に演技とばれたくないから、心から嫌悪しているように思いこむのだろう。 あくまで、ふりをしているはずが、吐き気を催すほどに。 そんな性に対する異常反応は一向に直らず、だから金森が言っていた通り、保健体育の授業を受けなかったほど、性的な事柄からは徹底的に目を閉じ耳を塞いできた。 もちろん、同性、異性どちらとも、下手な接触をしないように気をつけてもいた。 という状態から突然、心の準備もないまま直接的な行為を受けたともなれば、キャパオーバーだ。 頭の中で幻聴が鳴り響いてやまず、「違うんだよ母さん!」と訴えようとするたびに、嫌悪感は募りに募っていき、果てには堪えきれなくて叔父の前で嘔吐をしてしまった。 ジムに居る医師免許を持つトレーナーに診断してもらったところ、「静かに休んでいれば大丈夫」と言われた。 が、パニックに陥った叔父は聞く耳を持たず「救急車呼んだほうがいいんじゃないの!?」と騒ぎたて「いやだ!ずっと傍にいる!」と駄々をこねたものを、何とかジムの人に引きずっていってもらい、一段落してから、自室で布団に入り安静にした。 ジムの喧騒は遠く、家には誰もいないから、他に人の声や物音はせず部屋は真っ暗だった。 疲れているなら尚更、すぐにでも寝落ちしそうな状況にあって、俺は乾いた目を見開いたまま天上を睨みつけていた。 嘔吐して少しはすっきりしたとはいえ、幻聴は止むことなく、悪寒や体の痺れもつづいていて第二波が押しよせてきていた。 吐きたくても胃の中身は空っぽだというのに。 金森の口にもしたくない行為を忘れたくても、その生々しい記憶を完全に消し去ることは難しかった。 別のことを考えようにも、元々、金森のことで頭を悩ませて余裕がない状態でいたから、やはり難しい。 金森の足の感触を忘れさせる何かがないかと、頭の中を引っ掻き回して、ふと夕方に鉄筋の骨組みで遭遇した男を思い出した。 プロレスラーのような肉体美を誇り、黒光りする肌を艶めかせて俺と学年が三つしか違うとは思えない精悍な顔をしていた。 といって脳筋的でなく、冷静さを保ち事を荒立てないで不良を追っ払てみせ、意外にも太くごつい指を繊細に動かし、労わるように腕の怪我を治療してくれた。 「他に痛いところは?」と男に腕を揉まれたことを思い出すと、やや体が火照って、幻聴と胸の悪さが薄れていく気がする。 そのとき覚えた恥ずかしさとくすぐったさは、金森の行為によるものと同じくらい、未経験で印象の強い感覚だったのだろう。 ただ、あくまで怪我を見てくれたのであって、性的な行為ではなかったから、記憶を呼び起こすのに抵抗はない。 母親もさすがに文句をつけられないのか、心なし幻聴は静まって、同時にだんだんと体の悪寒と痺れがおさまっていき、布団の温もりを感じるようになっていった。 疲れきっている身で布団の温もりに勝てるわけがない。 幻聴が気にならなくなると、それまで発狂しそうに目が冴えていたのが嘘のように、一気に眠りに落ちた。 おかげで下半身が熱く疼いているのに気づくことはなかった。 夢見は途中まで悪かった。 幼い俺が母親に叱責されているものだ。 夢でも逃げられないのかと、絶望感を覚えたものを、うな垂れる幼い俺の頭を撫でてくれる人がいた。 もちろん母親は金切り声を上げて、その人まで責めたてはじめた。 人殺しを糾弾するかのような剣幕だったけど、その人は一笑に付して言ったのだ。 「じゃあ、あんた、どうやってこいつ産んだんだよ?」 大きな手で掴まれたままで顔を上げられず、その顔を見ることはできなかった。 でも、鉄筋の骨組みで出会った男に違いないと思った。
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