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帰宅途中、夕食の買い物に寄る。普段は家の近くのスーパーに寄るのだけれど、本日はあまねくんの実家から近いところ。
普段とは違う道を通り、裏道に出た。
「あ、ここ……」
ゆっくり車を走らせながら辺りを見渡せば、懐かしい通りだった。
10年近く前、この道をよく使った。
「ここに出るんだ……」
思いがけず、懐かしい道に出て嬉しくなる。
地元のテレビ局がある道だった。あの頃は撮影のためによく通ったものだ。たった数ヶ月ではあったけれど、収録をまとめてするため、何度も通っては長時間撮影に挑んだ。
今考えると、いい経験をさせてもらった。そのお陰であまねくんにも私を知ってもらえたのだから。
近くにスーパーを見つけ、そこに駐車する。初めて寄るスーパーだったが、懐かしい気分になったこともあり、そのまま買い物をしていくことにした。
野菜を選ぶ。街中のスーパーで買うよりもかなり安くて驚く。
そんなに遠い距離じゃないし、こんなに安いなら今度からこっちに来ようかなぁ……。
なんてことを考えながら物色していると、「まどかさん?」そう声をかけられた。
名前を呼ばれて振り返る。聞いたことのない声だった。
顔を見れば知らない男性。しかし、向こうは私のことを知っているようだった。
「あ! やっぱりまどかさんじゃないですか! うわー、久しぶりだなぁ」
彼はそう言って嬉しそうに笑った。無邪気な笑顔は、どことなくあまねくんを思い出させる。
オレンジに近い赤茶色の髪。耳の後ろ側が刈られていて、セットされた髪からその部分が少し覗いていた。
こういうのなんて言うんだっけ? ツーブロック?
頭の中でクエスチョンマークを浮かべていると、「あれ? もしかしてわかりませんか?」と首を傾げた彼。
申し訳ない気持ちでいっぱいだが、記憶を辿っても思い当たる人物はいなかった。
「すみません……、ちょっと」
「ははっ、無理もないですね。あれから10
年近く経ってますから」
そう彼は笑い、胸の内ポケットから名刺入れを出した。一枚取り出し、渡される。
軽く会釈をして両手で受け取った。
「まみやいおり……えぇ!?」
ゆっくり名前を読み上げ、聞き覚えのある名前に目を見張る。
「思い出しました?」
「う、うん……」
思い出したもなにも、当時の面影なんて残ってないんじゃないか。そう思える程、私の知ってる間宮伊織とは印象がかけ離れていた。
当時の彼は、大学4年生でテレビ局に就職するため、大学生の内からADとしてアルバイトをしていた。
その頃は、黒の短髪に黒縁の眼鏡をかけていた。いかにも好青年! という感じはあったが、時折浮かない顔をしていた。
街ぶらロケの番組で、彼は飲み物や上着など気を遣ってくれた。ADとして当然だと言っていたが、彼が怒鳴られるところを何度も目にし、大変な仕事だなぁなんて思ったものだ。
「何か、印象変わったね……」
「ああ、そうですね。今、結構自由なんで」
そう彼は笑う。当時は自信がないのかおどおどしていた印象だったが、すっかり大人びてしまい、こちらとしても戸惑う。
10年ってこんなに変わるんだ……。
もう一度名刺に目を戻し、驚いてその文字に顔を近付けた。
「……プロデューサー?」
「はい。4年前から」
「……大出世だね」
「俺、あの時本当にまどかさんに励まされて頑張ったんですよ!」
「?」
私は、これまた心当たりのないことに首を傾げた。
私、励ましたりしたかな?
「俺が機材をダメにしちゃって、撮影ができなくなった日があったじゃないですか」
「あー、あー! 雨の日だったっけ?」
「そうです!」
そう言われてなんとなく思い出す。すずらんの仕事が休みの日に撮影は行われていた。早朝ロケで集まったものの、予想以上に雨が酷くなり、外でのロケが中止になった。
室内で来週以降のものを撮影しようと急遽決まったが、その際に伊織くんが機材に足を引っ掻けて壊してしまった。
バタバタとして他の共演者はピリピリしているし、何とか撮影を進めたが、どうにもならなくてその日は中止になった。
泣きそうな顔をして、楽屋に謝りに来てくれた伊織くん。プロデューサーや他の共演者に散々怒られた後なのか、小さくなって震えていた。
「俺、本当にまどかさんには救われたんですよ。あの一件でマジで就職もやめようかなって思ってて。アルバイトだからそこまで責任負わせられるってわけじゃなかったけど、それでもその後の扱いも結構酷くって」
「そうだったんだ……」
「まどかさん、本当にめちゃくちゃ優しくて、大丈夫だよってずっと背中さすってもらって……。あの後、プロデューサーさんにあまり怒らないようにって言ってくれたんですってね? 本当だったら、まどかさんの立場も危ういのに……」
彼はそう言って申し訳ないといったように顔を伏せた。しかし、私としてはテレビに出たかったわけでもないし、そもそも期間限定でという約束だった。
本職にも影響が出始めていたし、できることなら降板させてくれてかまわないくらいに思っていた。こんなことを悟られてはダメだと、ぐっと黙り、笑顔を作った。
当時はなぜかちやほやされていたし、自分で言うのも何だが人気のあった私に、プロデューサーさんも「何でも言ってね!」と愛想を振り撒いていた。
その好意に甘えてそう伝えただけだった。
あの時の彼があまりも辛そうだったから、好きで入った道なら辞めてほしくないなと思ったのも事実だ。
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