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まだ熱い湯飲みを持って、あまねくんはお茶を飲む。暖房で温かくなったこの部屋では、そう簡単に冷めないはず。それでも平然と一口飲む彼。熱いものは平気なのだ。
出会ったばかりの頃、グラタンを頬張って火傷しかけてたけど。
「それよりまどかさんはどうだったの? 茉紀さん」
「うん。茉紀ね、離婚するんだって」
「え!?」
私があっさりそんなことを言ったものだから、彼は驚いて湯飲みを落としそうになる。慌てて湯飲みをテーブルに戻した彼は、眉をひそめて「なんでまた」と私の方を向いた。
あまねくんに聞かれたくなくて私を連れ出したのであろう茉紀。しかし、律くんやお義父さんに弁護を依頼するのであれば、あまねくんにだけ言わないわけにもいかない。彼らはあまねくんの身内なのだから。
「それが、うちらが知らなかっただけで離婚の話は前からあったみたい。それで、すんなり離婚ともいかなくて、律くんかお義父さんに弁護を依頼したいんだって」
「へぇ……。最悪裁判だよ?」
「うん。それでもいいって。親権取りたいって言ってたし」
「茉紀さん仕事復帰したんだっけ?」
「うん。もうじき役職も戻るみたい」
「あー……それなら親権取れるんじゃない? 弁護士雇っても損にはならなそうだよね。俺から律に連絡してみようか。父さんにはまどかさんをお願いしてあるし」
「うん。いいの?」
「いいよ。茉紀さんも大変だったんだね」
あまねくんは、最初こそ驚いていたものの、それ以上深くは聞いてこなかった。やっぱり他人に関してはそこまで関心がないのか、私や茉紀に配慮してそれ以上聞かないのかはわからない。けれど、協力的であるのは間違いない。
「ちなみにハイジさんと茉紀はなんでもないんだって」
「まあ、そうでしょうね。ハイジさん、女の子好きそうに見えてそういう揉め事一切聞かないし」
「えー。でもあまねくん、最初にハイジさんのお店行った時、誰でも口説くみたいなこと言ってたじゃん」
「うん。本当だよ。綺麗、可愛いは誰にでも言うし、とにかく褒めるのが上手いよね。でも、実際誰かと付き合ってるっていうのも聞いたことないし、出てくる名前はるーって人だけ」
「その人のこと、茉紀も言ってた」
「1番好きで、結婚も考えてた時期に亡くしてるみたいだから、そりゃ引きずるよね。チャラチャラしてそうに見えて、幸せに飢えてる人だから。闇が深くて茉紀さんの手には負えないよ」
「闇が深いのはひしひしと感じるよ。あの掴めない感じ」
「はは。その内慣れるよ。なんだかんだ言って面倒見いいしね」
あまねくんはソファーの上で胡座をかいて、歯を出して笑う。彼は本当にハイジさんのことが好きなのだろう。
私にもこんなふうにハイジさんを受け入れられる時がくるのだろうか。私には彼が謎過ぎて怖いくらい。嫌いではないけれど苦手な存在であることには変わりない。
「あまねくんも茉紀もハイジさんの味方だもんなぁ……」
「何言ってんの。俺はいつでも1番はまどかさんだよ。茉紀さんも、辛い時に傍にいてくれたからハイジさんが好きなんだろうね。俺もそうだったし。あの人の優しさは極限状態じゃないとわからないのかも」
そうなふうにあまねくんは面白がっている。もしも私に極限状態が訪れる時があるならば、ハイジさんを好きになれるのだろうか。もっともそんな時に傍にいてくれるのはあまねくんであり、そういった機会はないだろうと、私は小さく笑った。
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