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「でも、よかったね。やりたい仕事続けられて」
「そうなんですよ。まどかさんはまだ介護の仕事してるんですか?」
「よく覚えてるね!」
「そりゃ、美人過ぎる介護士で人気になった人ですから」
「やめてよ、もう過去のことだから。今はもうやってないんだ」
「辞めちゃったんですか?」
「うん。結婚して今子供もお腹にいるの」
お腹をさすって目線を下げれば、「あー……そうなんですか」と彼の声のトーンが下がった気がした。
不思議に思って顔を上げれば「おめでとうございます。よかったですね」と笑顔で言われた。ほんの一瞬違和感を覚えたのは気のせいだったみたいだ。
「家はこの辺なんですか?」
「ううん。今日は主人の実家に行ってきた帰りなの。たまたまここに寄っただけ」
「へぇ……1人で旦那さんの実家へ?」
「うん。仲いいんだ。お義母さんも義妹さんもよくしてくれて。だから主人がいなくてもよく遊びに行くの」
「すごいですね! そっかあ……いいなぁ。自分の家族とそんなふうに仲良くしてくれたら、旦那さんも嬉しいでしょうね」
「どうかなぁ? うちの家族ばっかりかまけてなんて言われちゃうからね」
むくれてるあまねくんを思い出して、クスクスと笑ってしまう。
隣を年配の方が通り過ぎようとするものだから、ガゴを乗せた買い物カートを手前に引いて道を開ける。
その一瞬の隙で「ねぇ、まどかさん連絡先教えて下さいよ」そう話題を変えられた。
「え?」
たまたま会った昔の知り合い。そんなに親しかったわけでもないし、異性だし。あまねくんがよく思わないんじゃないか。そんなことが頭を過り、「ごめんね。主人が凄く嫉妬深いの」と笑って誤魔化した。
「そうなんですか? じゃあ、まどかさんも大変ですね。束縛とか」
「そんな束縛とかいうようなレベルの話じゃないんだよ。本当、拗ねるとか可愛い程度のもので」
「疲れちゃいませんか?」
「ううん、全然。可愛いもんだよ」
そう言う私に、なぜか不服そうな顔をする彼。
「……残念だなぁ。今俺、東京のテレビ局で働いてるんです。今日はたまたま静岡のロケの準備で来てて実家に泊まったんですよ。機会があったら、次の収録とか誰か紹介してもらおうかなぁなんて思ってたんだけど」
「そうなんだ……」
「専門職に向き合う姿を放送する番組なんですけどね。今回は静岡出身のモデルさんなんですよ。知ってます? かなんせって」
「え!?」
少し話をしたら切り上げようとしていたのだけれど、まさか奏ちゃんの名前が出て思わず目を見開く。
「あ、知ってます? もともとギャル系の子だったんですけど、最近イメチェンしてパリのコレクションにも出て今一番注目してるモデルなんですけどね」
「そ、そうなんだ……」
どうしよう。奏ちゃん、伊織くんの番組に出るんだ。これって、ゆくゆく私と奏ちゃんが義姉妹だってわかったらまずい展開になるのかな?
伊織くんのことを蔑ろにしたら、奏ちゃんの仕事にも影響がでるかも……。
「それで打ち合わせの時、最近兄が結婚してお姉さんができたんだけど、昔静岡のテレビに出ててなんて話をしたんですけどね」
「……」
この人、知ってて話しかけてきたんだ。そう察した瞬間、鳥肌が立った。にこにこしながらこちらの出方を伺っている。
「全国放送だし、この放送後知名度が一気に上がったなんて話も聞くんですよ。他にももう1つ番組もってましてね、かなんせが今回の放送でよければそっちの番組にも出てもらおうかななんて思ってるんですよ」
「……」
「連絡先って、教えてもらえます?」
「……わかった」
脅されている気分になった。私のせいで奏ちゃんの仕事に支障がでたらどうしよう。
そう考えると、連絡先を教えないわけにはいかなかった。
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