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パアァァァァァーーー。長い長いクラクションが鳴り響く。家のすぐ目の前を走る車は黒のワンボックス。向かい側の家までは少し距離があり、車2台がぎりぎり通れるくらいの道路である。
そのため、対向車が来ていない時にはスピードを出す車が多かった。この車も恐らくそうだ。
こんなスピードのまま光輝を跳ねれば、あの小さな体はダメージを負うどころでは済まない。
茉紀は咄嗟に反応するが、麗夢を抱っこしているため思うように体が動かなかった。私はといえば、もっと手前にいてあまねくんが開けっぱなしにしているドアで通りが塞がっている。
そんな情景がスローモーションで見えた。その瞬間、とんでもない瞬発力で戸塚さんが飛び出し、光輝を抱えて道端に転がった。
そのすぐ後を車が通り過ぎていく。
車はそんな状況でもスピードを緩めるでもなく、停まるわけでもなくそのまま走っていった。
戸塚さんはというと、光輝をすっぽりと腕の中に収めたまま、向かいの家の塀に背中をピッタリとくっつけて横向きで踞っていた。
おそらく転がった拍子に背中を塀に打ち付けたのだろう。
「戸塚さん!」
私達は声を揃えて戸塚さんと光輝の安否を確認しに向かう。交通を確認してから戸塚さんの元へ駆け寄る。
「いって……」
戸塚さんはむっくりと体を起こし、腕の中にいる光輝の体も一緒に起こす。道路に座ったまま右足を立て、光輝の顔を覗き込んだ。
当の本人は大きなクラクションと、突然の衝撃に驚いて大泣き……とはいかず「今のなに!? すっげぇ!」と目を輝かせていた。
「え……」
私は呆然としながらその光景を見ており、あまねくんが隣で「おお、元気そうだね」と言った。茉紀は安堵して腰が抜けたのか、麗夢を抱えたままその場にすとんとへたり込んだ。
そりゃ自分の子供が目の前で車に轢かれそうになれば、腰も抜ける。
「ねぇ! なんで! ねぇ! おじさんキバレンジャーなの!?」
大人の気持ちなどわかる筈のない光輝は、戸塚さんの腕の中で向き直り、服の胸元を掴んで興奮している。
「き、きば? 今はキバレンジャーがはやってるの?」
一応戦隊モノだという把握はできたようで、戸塚さんは首を傾げて光輝に尋ねた。
「キバレンジャーだよ! おれね、キバレッドになるんだよ!」
「そっか。じゃあ、強くならなきゃだなぁ」
戸塚さんは笑顔で光輝の話に合わせている。
す、凄い……この状況で平然と会話をするなんて、戸塚さん何者……。
「そうだよ! わるいやつ、みんなやっつける! おじさんもそう?」
光輝、そのおじさんはただの税理士さんだよ。そんな子供の夢を壊すようなことは言えない。
「おじさんはね、キバレッドにはなれないんだよ。お仕事があるからね」
きっと戸塚さんは、変なところが真面目なのだろう。簡単に本当のことを白状した。
「おしごとなに? おじさん、なんのおしごと?」
「税金のお仕事だよ」
「ぜいきん?」
「そうだよ。お買い物したり、お金もらったりする時には、この国にありがとうのお金をあげなきゃいけないんだよ」
「なんで?」
「だって、ここでお家を建てたり、ご飯を食べたりっていう生活をするでしょ? 住むところがないと寝る場所もないし生きていけないでしょ? だから、生きていく場所を貸してくれてありがとうをするんだよ。そのお金を守るお仕事をしてるんだよ」
「ふーん……」
どうやら難しいようです。あたり前です。
「それより、怪我はない?」
戸塚さんは、座ったまま光輝の脇腹を持って立たせてやる。目線が光輝の方が高くなる。
「うん! ぐるってまわったよ! ちょっとうってなったけどいたくないよ! おれ、キバレッドになるからね!」
光輝はそんなふうに言っている。私とあまねくんは思わず笑ってしまい、茉紀はぐしゃっと髪をかきあげた。
その内に鼻をすするような音が聞こえて、茉紀が大粒の涙を流していた。不倫に裁判に離婚に相手の再婚。こんなに怒濤のような日々が過ぎていき、挙げ句光輝に何かあったら茉紀はもう立ち直れなかっただろう。
茉紀の気持ちが痛いほど伝わってきて、私は茉紀の隣にしゃがみ込んでそっと背中を擦った。
とにかく光輝が無事で本当によかった。光輝だけはしゃんしゃんしているけれど。
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