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連絡先を交換した後、「まどかさん、強引なことをしてすみません。困らせたいわけじゃなくて……。奏ちゃんのことはちゃんと仕事としていいものを作らせてもらいます。まどかさんに助けてもらったのは本当ですし」と彼は言った。
あんな脅すようにして連絡先を交換させた人間の言うことなど信用できなかった。それでも、奏ちゃんのことがある手前、下手なことも言えない。
「少しだけでいいんです。暇潰し程度に俺と連絡とってくれたら」
「……それだけなら」
「じゃあ、また連絡します」
彼は、何事もなかったかのように笑顔で私の前から去っていった。
何もなきゃいいけど……。不安は募る。話してみていい子だったなって途中まで思ったんだけどな。
卑劣なやり方に納得はできなかった。煮え切らない思いで買い物をし、帰宅する。帰宅途中で、伊織くんからメッセージが入った。
〔先程はすみませんでした。本当にまどかさんと連絡取りたかっただけなんです。酷いことするつもりもないので、友達として連絡とって欲しいと思っています〕
本当に反省しているのかはわからない。もう10年近くも会っていなかった人間に対して、そんなに執着するだろうか。
そこまで考えて浮かんだのはあまねくんの顔。
「あまねくんは10年片想いしてくれてたんだっけ……」
10年越しの恋だったのに、あまねくんのことは愛しくて、出会っていない間でも私のことを好きでいてくれた事実を思い出し、嬉しくなる。
けれど、伊織くんはそうじゃない。どうして今更なんだろう。
私は、返信に困って既読をつけてそのままにしてしまった。
あまねくんが帰宅してから、伊織くんのことを話す。
「何、その男」
当然不機嫌なあまねくん。私から異性の名前が出ただけで顔をしかめる程なのに、連絡先まで交換したとあって機嫌の悪さは最高潮だ。
「ごめん。奏ちゃんのこともあって……」
「まどかさんは謝らなくていいよ。奏のことも気にかけてくれてありがとう。連絡先交換したこともちゃんと言ってくれて、それだけはほっとしてるし」
「うん……」
「でも、そんなやつの番組に奏を出させるのも気に食わないけどね」
「そうなんだけど……結構大きい番組みたいで」
そう言って、番組名を言えば「え、すっごい有名な番組じゃん。てか奏、そんなの出るなんて一言も言ってなかったけど」と顔をしかめた。
私はあまりテレビを見ないのでわからないのだけれど、あまねくんが言うには5年程続いているゴールデンの番組で根強いファンがいるとのことだった。
あまねくんがそれを知っているのは、仕事でお客さんの元へ行った際、どこでもよく話題になるからだそうだ。専門職に注目していることもあって、特に4、50代には人気があるとのことだった。
「せっかく奏ちゃんも波に乗ってきたのにここでチャンスを崩したくないし」
「まぁ、そうだね。それで奏が他のテレビ局でも使えないように嫌がらせされても困るし」
「だよね……」
「じゃあ、とりあえず連絡とるのは普通にしてていいから、内容は逐一教えてくれる? 会いたいって言ってきたら、俺も一緒に会ってその人に言うよ」
「え!?」
「大丈夫。大人な対応を心がけます」
あまねくんはそう言ってふっと笑う。
よかった。機嫌を損ねた時にはどうしようかと思ったけれど、あまねくんはいつだって私よりも冷静だ。
どんなことがあっても、あまねくんに相談すれば大丈夫。そう思えるのだから、こんなに頼りになる旦那さんは他にいない。
「まあ、これ以上脅してきたりするようなら、メッセージとか音声データ撮っておいて、律か父さんに任せよう」
「そ、そうだね」
そうだった。あまねくんの後ろにも強力な助っ人がいるんだった。それを思い出して、更に安堵する。
「じゃあ、話もまとまったし食事にしようか」
あまねくんがそう言って立ち上がったところでチャイムが鳴った。見事なタイミングだったため、私とあまねくんは顔を見合わす。
「さすがに家まで来ないでしょ」
あまねくんはふぅっと軽く息をついて、インターフォンへ近付く。私もあまねくんの後を追って一緒に覗き込んだ。
エントランスに佇む姿は、いつぞやの陽菜ちゃんだった。
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