それぞれの門出

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 私は、穴があったら入りたい気分だった。誰彼構わず私の話をしていたのだろうか。私と結婚したから良かったものの、このまま出会うこともなければ彼は単なるイタイ人で終わってしまったことだろう。 「俺は素敵だと思いますけどね。そこまで人を好きになれるって羨ましいですよ」 「彼の場合は少し特殊です……」  私が食洗機のスイッチを入れて、恥ずかしながらそう言うと、彼は「生涯で本当に好きな人と結ばれる確率ってどんなもんなんでしょうかねぇ」なんてしみじみと言った。  ごぉぉぉぉっと食洗機が騒がしい音を立て始め、私はキッチンペーパーを数枚とってフライパンを拭く。水はすぐにペーパーに吸収されて、その瞬間から乾いていく。 「どうでしょうね。でも、結婚してるほとんどの人が、その時は絶対この人だ! って思って入籍してるんじゃないんですかね」 「うーん……でも最近離婚も多いですよね」 「昔に比べて自由ですからね。女性も働いて自立している方も多いですし」 「あー……男としての役割がどんどん減っていきますね」  戸塚さんは寂しそうにそう言った。 「減らないですよ。主人は家事も手伝ってくれますし、きっと育児だって一生懸命やってくれると思うんです。お互い同じくらい働いているなら、同じくらい家事や育児だってやってもいいと思ってるんですよ、私」 「それはそうですね。どうしても、俺も男はバリバリ働くものだって思っちゃって……女性が仕事出来ると、ちょっと自信がなくなっちゃいますね」 「そんなことないですよ! 女性が育児をしながらも働けるのは、旦那さんの安定した収入があってこそだと思いますよ。でなきゃ、女性だって労働ばかりが主になって、時短やパートで働くこともできないですからね。  それに、戸塚さんはあんなに光輝と楽しそうに遊んであげられるし、きっといい旦那さんになりますよ」  戸塚さんなら間違いなく、いい旦那さんにいいパパになるだろう。あまねくんもそうだけれど、こうやって自分の思っていることを素直に言える人は、他人とよくわかり合える人だ。  思いやりがあって、自分の欠点を認める事ができる人は、きっと結婚してからだって上手くいくだろう。 「なんだかまどかさんって不思議な人ですね……。何で俺、こんなに色々喋っちゃうんだろう……」  戸塚さんは、顎に手を当てて首を傾げた。特に相談に乗っているわけでもないし、単なる世間話に過ぎないと思うのだけれど。 「私も、戸塚さんはとても話しやすい方だと思いますよ。主人にこんないい先輩がいて下さって本当に嬉しいです」 「いえいえ、俺の方こそ色々仕事の話を聞いてもらったりしてるんですよ。後輩ですが、今ではいい友人でもあると思っています」  あまねくんの周りには陽菜ちゃんみたいな変な子もいるけど、比較的いい人が多い。あまねくんが引き寄せるのか、お互いに波長があったのかはわからないけど、戸塚さんとは今後もいいお付き合いをしていってもらいたいと心から思った。  暫く戸塚さんと会話をしていると、車の音がしてあまねくん達が帰って来ただろうと顔を上げた。  その内に玄関が開く音がして「ただいまー」というあまねくんの声に続いて「ただいまーー!」と元気な光輝の声がする。  リビングのドアが開いて勢いよくスキッチを両手で持った光輝が駆けてきた。 「あんたはただいまじゃなくておじゃましますでしょ」  茉紀に頭を小突かれている光輝は、全く気にする素振りはなく、真っ先に戸塚さんの元へ行き、黙って膝の上に座った。  私と茉紀はバッチリと目が合ってしまい、私は声を出して笑った。茉紀は額に手を当てて「あんたいい加減にしなよ」と言っている。
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