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「陽菜ちゃん……」
私はポロっと名前を呼ぶ。
「だね。……何しに来たんだろ」
あまねくんは、眉間に皺を寄せて画面を見る。せっかく伊織くんのことも話がまとまったのに、こんなところにきて陽菜ちゃんの姿。
前回彼女が訪ねてきた時には、大学の時に仲が良かっただけの友達だとあまねくんは言っていた。
連絡先も知らないし、もう関わることもないと。
それなのにまた訪ねてくるなんて、どういうことだろうかと、胸の奥がずんと重くなる。
あまねくんは、インターフォンの会話ボタンを押し「はい」と返事をした。
「あ! 周!?」
目をくりっと大きくさせて、画面に顔を寄せる。私と話した時よりも、高く可愛らしい声だった。
「どちら様ですか」
インターフォン越しに姿が見えているのに、そう声をかける彼。その声は、私と話す時よりも、低く他人行儀だ。
「陽菜だよ! この前本届けたんだけどね」
「……聞いたよ。ありがとうね。返してもらったからもういいよ」
あまねくんは、髪をかきあげてはぁっと息をつく。
あ……やっぱり、本当に苦手なのかも……。
壁に手を置いて体重をかける姿は、面倒だと言っているようだった。しかし、そんな姿も絵になるのだから、彼はずるい。
「よくないよ! 長いこと借りちゃったし、お礼にケーキ作って来たんだよ! 周、甘いの好きでしょ?」
嬉しそうに紙袋を掲げる彼女。
「お礼とかいいよ。もう返してもらっただけで十分だし」
「それじゃあ、私の気が済まないよ! ねぇ、ここ開けて」
そう言ってカメラに向かって上目遣いで甘い声を出す。
やっぱり、陽菜ちゃんは可愛いと思う。男性は、こういう可愛く甘えるタイプが好きなんだろうなぁ……。
自分には到底できない行動に感心さえしながらあまねくんを見れば、目の下をピクピクと痙攣させながら心底嫌そうな顔をしている。
そんな顔になるほど嫌いなの!? さすがに驚く程の反応に、こちらとしてもかける言葉が見つからない。
「開けないよ。帰って」
「な、何でよ!」
陽菜ちゃんは不服そうに両頬を膨らめる。あまねくんと同じ年ということは28歳かぁ。この年でこういうことができるんだから、内面もきっと若いんだろうなぁなんて他人事のように思う。
「俺、奥さんいるからさ。こうやって訪ねてこられると困るんだよ」
あ、ハッキリ言ってくれた。そう思った瞬間、嬉しくなる。あの時だって嫌な気分だったもんなぁと陽菜ちゃんが初めて訪ねて来た時のことを思い出す。
「あ、そっか! じゃあ、奥さんいないところでこっそり会わなきゃね」
陽菜ちゃんは、舌を出してふふっと笑った。
あまねくんは、インターフォンから手を離し、その手で額と目を覆う。ふーっと長く息を吐き、「落ち着け、俺」と呟いている。
「ねぇ、陽菜ちゃんって……」
「コイツ、ヤバいんだよ」
何も言っていないのに、あまねくんはインターフォンの画面を指差してそう言った。コイツ呼ばわりになってるし。
あまねくんは再びインターフォンのボタンを押し、「そういう問題じゃないから。陽菜ちゃんとはもう会わないよ」そう続けた。
「なんで、なんで! 陽菜、周と会いたい!」
「無理だから」
画面越しにぴょんぴょん飛び跳ねて駄々をこねる陽菜ちゃんにあまねくんは、バッサリ切り捨てる。
普段のあまねくんなら、「うーん……」といいながら、少しくらい考えてくれるはずだ。
「陽菜がイタリア行った時もそうだったじゃん! 空港まで見送りに来てねって言ったのに来てくれなかったし。その後連絡取れなくなっちゃったし。周のスマホだけ電波届かないみたいで、陽菜のところに返信こないんだよ? 周のスマホ換えた方がいいと思う」
唇を尖らせてそう言っている。あまねくんのスマホだけ電波が届かない……? それは単にあまねくんが返信しなかっただけなんじゃないかと当然の憶測が湧く。
それとも、あまねくんから返信がこないなんてことがあるはずないとでも思っているのだろうか。
「スマホは換えたから、もう連絡とるつもりもないよ」
「え? え? 何で?」
「何でって、奥さんいるって言ったよね?」
「陽菜、そういうの気にしないよ? これでも気は長い方だから、いつまでも待てるし」
え? 何を? 陽菜ちゃんの不可解な言葉に、私は首を傾げる。
「いや、別れないからね。陽菜ちゃんと会うつもりもないし」
待てるって離婚のこと!? 思わず叫びそうになり、急いで口を塞ぐ。あまねくん、コイツ、ヤバいよ! 彼の言っていたことが理解できて、彼に目配せをした。
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