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「それより、千愛希さんと律くん付き合い始めたんだってね。おめでとう」
私がそう言うと、「あー……まあ、はい」と気のない返事をした。
「どうかしたの?」
「んー、付き合い始めたと言っても私と律は、まどかさんと周くんとはちょっと違うんです」
「違うって?」
「なんていうか……こうまどかさん達みたいにラブラブっていうわけではないですし」
「なぁんだ。でも、仲良しじゃん」
「まあ、仲はいいです。何でも話せるし、対等でいられるし、今まで出会ったどの男性よりも気軽で疲れないというか」
「うん、大事なことだと思う」
「でも、何か友達というか……親友の延長線みたいな感じで」
「律くんとラブラブになりたいの?」
「いやいや……それはないです」
千愛希さんは苦笑しながら小さく手を左右に振っている。綺麗に手入れされた爪先が綺麗で、控えめなネイルが素敵だった。
「私の方があんまり恋愛感情とかわからないんです。結婚願望だけは昔から強くて、直ぐにでも結婚したいって思ってたのに、付き合う人とは全然上手くいかなくて。俺と仕事とどっちが大事なのって言われたり、家庭に入って生活を支えて欲しいって言ってたのに愛情が感じられないって振られたり……」
千愛希さんは、あまねくんと律くんに視線を向けたままそう言った。
よくわかるなぁ……。私も漠然と結婚願望だけはあったけど、雅臣との結婚は悩んでたしなぁ……。
「でも律は、自分の人生だし好きなように生きたら? って。仕事したきゃ好きなだけがむしゃらに働けばいいんじゃない? 子供もいらないなら無理に産む必要なんかないじゃん。産まなきゃいけないって誰が決めたの? って。私、何かびっくりしちゃって……何で必死に結婚したかったのかなぁ、結婚した後どうするつもりだったのかなぁって思って」
「なんか、律くんらしいね」
「はい。彼は自由なんです。常識とか道徳とか一番敏感な仕事に就いてるのに、生き方や考え方については柔軟で。何か格好いい生き方だなぁって」
「うん、そうだね」
「だから、私はまどかさんや周くんみたいに律のことが愛しくて好きでたまらないってわけじゃないけど、彼の考え方も生き方も人して凄く尊敬するし、凄く好きだなって思えて……この人の側でもっと色んなことを学びたいって思ったんです」
「うん。いいと思うよ。私は好きだよ。お互いに自立してて、どちらも依存的でない感じが。さっぱりしてるっていうか爽やかだよね」
私がそう言えば、千愛希さんはこちらを向いて瞳を揺らした。
「嬉しいです……。私、まどかさんのことはこんなに好きなのに、男性に対しては燃え上がるような恋みたいなのをしたことがなくて……自分はおかしいんじゃないかって思ったこともあったんです」
「そんなこと……」
「でも律が千愛希のことは人間として好き。だから一緒にいることにしたって言われて、ああこの人私と一緒なんだなぁってちょっと安心したというか……」
「そっか。うん、それでいいと思うな。私だって、あまねくんは時々子供っぽくて困る時もあるけど、いざという時には凄く頼りになるし、思いやりもあるし、人として尊敬できる部分がいっぱいあるよ。恋愛の形は人それぞれだし、私は2人のこと応援したいな」
「ありがとうございます。とりあえずは私、もうちょっと仕事頑張りたいって思ってます」
そう言って笑った千愛希さん。恐らくこの人は、パソコンもアプリゲームも仕事も大好きで、それを超えられる人間に出会わなかっただけだと思う。よく仕事が恋人だなんていう人がいるけれど、きっと千愛希さんはそのタイプ。
そんな千愛希さんの考え方を変えてしまうのだから、彼女にとって律くんは不思議で面白い人間に映ったのかもしれない。
そんな恋愛トークに花を咲かせている私達を他所に、あまねくんは店員さんを呼んで説明を聞いていた。
その内に私まで手招きされて、どの持ち手が持ちやすいだとか、どの大きさがいいか、持ち運びするならどれが楽かなんて一緒に選ぶよう勧められた。
それぞれのメリットとデメリットを比較して悩みに悩み、ようやく1つに決めると約束通り律くんが購入してくれた。
オムツやおしり拭きや哺乳瓶なんかをまとめて千愛希さんがプレゼントしてくれ、ありがたさよりも申し訳なさが勝ってしまった。
「何かごめんね……」
「いいって。これからもっとお金かかるわけだし、これくらいは」
律くんはそう言って微笑み、千愛希さんは「私も律より稼いでるので大丈夫です」と含み笑いを浮かべる。
私とあまねくんはぎょっとして、目を見開く。律くんは目を細めて「今だけだよ。俺だって開業したらその内超えるからね」なんて言っている。
わぁ……これは、とんでもないビッグカップルが誕生したかもしれない。千愛希さんは肩書き上は社長秘書だけれど、自身でアプリゲームを手掛けているクリエイターだ。
中には特許をとっているものもあるみたいで、恐らく何千万も稼いでいるとあまねくんが予想していた。
そんな中、あまねくんのスマホが鳴り、彼は躊躇なくそれに出た。
「はい。そうです。はい、はい……そうですか……いえ、知りません。はい……わかりました。いえ、こちらこそありがとうございました」
顔は真剣そのもので、親しい人からの電話でないことくらいはわかる。お客さんかなぁなんて思っていると、直ぐに電話を切った彼。
あまねくんがそのまま私の方を見ると「昨日の車の運転手捕まったって」と言った。どうやら電話の主は警察だったようだ。
「え!?」
「ナンバー追って検問しようとしたら、酒気帯び運転だったってさ。名波佳穂って知らないよね?」
「ううん、聞いたことない」
「だよね。まあ飲酒運転が捕まったわけだからいいか」
私達がそう話していると、怪訝な顔をした律くんが「何、また何か巻き込まれてんの?」と言った。
「違うよ。今回はそんな事件性とかなくてさ。昨日茉紀さんの子供が轢かれそうになって危なかったからドライブレコーダーを警察に渡したんだよね。そんなに直ぐに調べてくれるわけないと思って期待してなかったんだけど、過去にもスピード違反とかで捕まってるみたいで動いてくれたらしい」
「ふーん。今交通規制も厳しいからね。まあ、捕まってくれたなら被害者が出る前でよかったね」
律くんもふむふむと何度か頷いている。
さすが、今のドライブレコーダーは性能が凄いな。あまねくんの記憶力が無駄にならなくてよかった。光輝が轢かれそうになった時も、酒を飲んでたのかもしれない。どちらにせよ光輝が無事で本当によかったと思う他ない。
あまねくんはすっかり上機嫌で、「じゃあお昼ご飯は俺が奢るね」と珍しく言っている。
何もかもがいい方向に向かい始め、私は陽茉莉が産まれてくるのを待つだけでよさそうだ。
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