それぞれの門出

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 十分な睡眠がとれなくなったことで、いつでもどこでも眠い。ただ、入院している内は、授乳時間以外は新生児室で陽茉莉を見てもらえるので安心だ。これが家に帰ってからだと泣く度に起きたりと大変だろうなと憂鬱になってしまう。  助産師さんの指導を受けながら授乳をする。妊娠初期からお世話になっている助産師さんは丁寧に教えてくれ、上手にゲップさせることができた時には拍手までして褒めてくれた。  あまねくんは毎日面会に来てくれ、入院中に迎えてしまった私の誕生日もお祝いしてくれた。  千愛希さんと会ったことを隠してまで選んでくれた誕生日プレゼントはオルゴールだった。蓋を開けると白とピンクが可愛い薔薇のブリザードフラワーが顔を出した。ゆっくり、繊細な音で鳴り響くのはバッハの『主よ、人の望みの喜びよ』だ。 「あ……何か懐かしい」 「色んな曲があって迷ったんだけど、陽茉莉が産まれた後に渡すことになるだろうし、クリスチャンでもないけど何か母性を感じるような曲がいいかなぁって思ってこれにしたの」 「わぁ……そうなんだ……」  聞いたことのある曲だから安心するのか、このメロディにヒーリング効果があるのかはわからないけれど、既に疲労が蓄積されている体を癒してくれるようだった。 「これから育児が大変になるでしょ。だから忙しい時でも耳で楽しめるものがいいかなぁって思ったんだ」  そう言って嬉しそうに笑うあまねくん。こんなふうに私の事を考えて選んでくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。  喧嘩をした時にはどうしようかと思ったけど、やっぱりあまねくんとならずっと幸せでいられるような気がした。  宝物がもう1つ増え、私は幸福感でいっぱいだ。あまねくんのフォトフォルダに入っている陽茉莉の写真を2人で眺める。  目はどっちに似てる、口はあまねくんなんて言いながら夫婦水入らずの時間を満喫した。  覚えることはたくさんあったけれど、無事に予定通り退院することができた。  あまねくんはあんなに実家には行かなくていいなんて言っていたから仕事に行くまでは家にいるのかと思いきや、退院後そのまま向かったのは守屋家実家だった。  リビングにもあまねくんの部屋にもサークルベッドがあり準備万端である。 「必要な荷物は運んでおいたからいいと思うんだけど……他に入り用な物があったら言ってくれれば取りに行くからね」  そんなことまで言っている。ダリアさんは面会に来てくれたけれど、律くんとお義父さんはぞろぞろ行っても迷惑だからと控えていた。また、おばあちゃんも膝が悪くあまり遠出はできないため、陽茉莉と会えていなかった。  守屋家皆に陽茉莉を抱っこしてもらい、ダリアさんもお義父さんも初孫を心から喜んでくれているようだった。  奏ちゃんにも退院日を知らせてあったため、一足遅れて登場した。 「ちっちゃーい! 私、赤ちゃんなんて初めて触った!」  奏ちゃんの友達にはまだお母さんになった子はいないらしく、末っ子の奏ちゃんは感激したように目をきらきらさせていた。 「奏ちゃんもいつか産むんだね……」  私がしみじみそう言うと「まだまだ予定ないから。かなはまだ仕事するの」なんて千愛希さんみたいなことを言っている。  これはあまねくんしか孫を見せてやれないんじゃないかと、律くんと奏ちゃんを交互に見ながら苦笑するしかなかった。 「やっぱりまどかちゃんに似てるのかなぁ?」 「えー、周じゃない?」  奏ちゃんとダリアさんは首をひねっては私とあまねくん、陽茉莉を見比べている。小さな小さな陽茉莉を囲んで大の大人がこれだけ大はしゃぎをするのだから子供の誕生は本当にめでたいのだと改めて思う。 「でも赤ちゃんってもっと小さいのかと思ってたけど意外とおっきいんだね」  そんなことを言った奏ちゃん。私もそれは気にしてたのに……。 「私も2800くらいで産まれてくるのを想像してたんだけとなんかおっきかったの……」  そう言った私に「奏も3000あったよ。この子っちは皆3000あったからきっと周の遺伝子ね」と笑っているダリアさん。  おお……将来は奏ちゃんのように大きくスタイルよく育つのか……。  ふと奏ちゃんを見れば、カッコよさに垣間見る美しさ。完璧な美女像を目の当たりにしてこれなら問題ない。と私は小さく拳を握りしめた。
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