それぞれの門出

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 私は茉紀に労いの言葉をかけるだけで精一杯だった。それでも茉紀は「律くんがすぐに動いてくれたから本当のことがわかってよかったよ。許せないけどさ、このまま渋ってたら別の方法で何か起きたかもしれないし」と現状を受け入れている。  暫くは茉紀もまた忙しくなるだろうとこちらからの連絡は控えた。  あまねくんも有給を終えて仕事に戻ったことで日中の育児は全て私がすることになった。 ……す、すごい……。あまねくん、これ一人でやってたの?  今まで言われるがまま休んでいたけれど、30分おきぐらいに泣く妃茉莉。それが授乳なのか、おむつなのかただぐずっているのかの判断が全くつかなかった。さっき変えたばかりなのにすぐに便で汚れるおむつ。  介護士をしていた時、高齢者のおむつ交換は何時間かに1回でよかったのに、子供のおむつはそうもいかない。スッキリするまで泣き止まないし、泣き止んでもすぐにまた泣く。  あー……無理かもしんない。あまねくん、早く帰って来て。  朝あまねくんを見送ってから僅か1時間でそう思う。そう思えるのも、あまねくんなら率先して手伝ってくれるとわかっているから。  これが茉紀の元旦那さんみたいに一切手伝ってくれなかったら、発狂しているところだ。そう思うと茉紀はどれ程我慢強く、どれ程苦しんだかが痛いくらいにわかる。 「んぎゃぁー!」  絶叫かと言えるほどの泣き声に、頭痛までしてくる。抱っこをしていても、寝不足で眠くなってくる。横になりたいと腰を降ろせば、その途端にまた泣くため、急いで立ち上がる。その内立ったままうとうとし始めて、つんのめりそうになってからはっと気付く。こんなことの繰り返し。  世の中のお母さん、いつ寝てるの? 寝ないの? このままずっと眠れないの?  気がおかしくなりそうで、イライラも募る。怒ってもしょうがないとわかっているのに、眠気と頭痛とで神経がピリピリするのだ。  虐待ってこういう時に起こるんだろうなぁとか、産後鬱ってこのイライラさえ感じなくなるのかなぁなんて考えながら泣きたくなった。  ダリアさんが途中で抱っこを変わってくれると言うのだけれど、いつまで経っても泣き止まなくて、結局私がずっと抱っこをする。  ようやく眠ったと思い、ベッドに寝かそうとすればまた泣き出す。 「まどかちゃん、赤ちゃんは泣くのが仕事だからね。一時も泣いてない時間を作ろうとしたって自分が疲れちゃうだけなの。泣いてても、少しくらい様子をみてても大丈夫」  ダリアさんにそう言われ、泣いているのを放っておこうと思うのだけれど、泣き声が気になってとても眠れないし、妃茉莉を置いて寝室に籠るわけにもいかない。  食事も中断して授乳をし、立って食べながら抱きかかえる。  もう、限界……。そう思ったところで帰宅するあまねくん。「ただいまー」の声がした瞬間、救世主が現れたような気持ちになる。毎日、毎日その繰り返し。  あまねくんと喧嘩をせずに日中自宅で1人、育児をすることを受け入れていたら、私はきっとまた精神的に弱っていったと思う。  あまねくんが職場復帰して2週間が経った頃、私の眠気はピークだった。午後3時くらいから眠くて眠くて仕方がなくて、でも寝かせてもらえなくて……あまねくんの帰りを今か、今かと待つ。  ようやく帰って来たあまねくんを玄関まで出迎えに行く。  妃茉莉を抱えた私を見て「ただいま。今日も頑張ったね」そう言って先に私の頭を撫でてから頬にキスをくれた。  暫く化粧もしないで、髪も1つに結ったままで、服だって寝間着と変わらないようなラフなもの。すっかり洒落っ気のなくなってしまった私を、いつでも愛しそうな目で見つめる旦那さん。 「先に手洗うから妃茉莉抱っこはちょっと待っててね」  優しく微笑むあまねくん。手を洗って着替えを済ますと、妃茉莉の抱っこを交代してくれる。ぐずって泣く妃茉莉をずっと体を揺らしながらあやしてくれる。  安堵もあって、妃茉莉の重みが腕に残る疲労感もあって、そろそろ本当に眠気がピーク。 「まどかさん、こっちおいで」  妃茉莉を抱えながら私の手を引くあまねくんは、2階の寝室まで私を連れていく。階段を登るのだってもはや一苦労で、あまねくんに持ち上げられるように手を引っ張られてようやくの思いで一段、一段登っていく。  ベッドの上に、背をもたれて座ったあまねくんは「まどかさん、ここね」そう言って自分の腿を軽く叩いた。 「泣きそうな顔してる。眠れてないでしょ。おいで」  そう言って彼は、その綺麗な指で私の頬を撫でるとベッドへ横になるよう促した。  きゅうっと胸が音を立てる中、私はあまねくんの膝枕に頭を預ける。あまねくんの匂いが胸を満たして、安心感で一杯になった。涙が滲んで溢れそうになる。 「リビングで寝るのはさすがにね。皆帰ってきちゃうし」  彼はそう笑って私の頭をそっと撫でる。いつの間にか妃茉莉は泣き止んでいて、静寂に包まれると、電気のブレーカーが落ちたかのように私の目の前は真っ暗になった。
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