8176人が本棚に入れています
本棚に追加
家の中まで送ってもらい、改めてお礼を言う。
「仕事戻らなきゃだよね?」
「うーん、次のクライアントとの予定までまだ時間あるから、もう少しいますよ。心配だし」
律くんは、腕時計を見てそう言った。
「そう? 大丈夫?」
「うん。後一時間くらいしかいられないけど」
「それまでにあまねくんから連絡くればいいけどね。コーヒーでいい?」
「ああ、うん。ありがとうございます」
ダイニングの椅子に律くんを通し、私はコーヒーを淹れる。毎日あまねくんに出すのが日課になっているため、この動作も慣れたものだ。
「まどかさん、何かあったんですか?」
背を向けた私に、律くんがそう声をかけた。
「何で?」
何も言っていないのに、どうしてそんなことを言うのだろう。単純に疑問を感じて振り返る。
「何か、不安定に見えたから。出血して気が動転していたとはいえ、あんなに泣きじゃくってるまどかさん見たのは初めてだし……」
彼は言いにくそうに視線を逸らして言った。
ああ、律くんには隠し事なんて無理だな……。
素直にそう思った。察しのいい律くんは、今回の出血だけが悩みの種だったわけではないと気付いている。
「あー……。ねぇ、聞いてくれる?」
まともに話を聞いてくれない茉紀に、放っておけと言うあまねくん。これ以上なにもしないのが賢明だとわかっていても、そうはできない私。
この感情をどこにぶつけていいのかわからず、勝手にストレスを感じているのだ。
話だけでも聞いてもらったら楽になるかもしれない。そう思い、彼に問いかける。
もちろん彼は、静かに頷いてくれた。
ハイジさんとあまねくんの関係から、私とあまねくんが付き合うまでの協力。そして、茉紀とハイジさんとの親密そうな間柄について簡単に説明した。
律くんだって時間がないのだ。そんなに手間はとらせられない。
「……不倫してるかどうかは確認したわけじゃないんですよね?」
暫くじっと一点を見つめて何かを考えている様子の律くんは、そう口にした。
「うん。お店以外で会ってるところを見たのはその日だけだし、電話で確認したら怒られちゃったし……」
「うーん。どうでしょうかね。でも、本当に不倫なんてしてたらそんなに白昼堂々と二人で歩いたりしなくないですか?」
「そう……かな?」
「そうでしょ。もし俺がまどかさんと不倫するなら、絶対に周の目の届かないところでもっと上手にするよ」
「え!?」
律くんがさらっとおかしなことをいうものだから、私は声を裏返らせながら驚くはめになった。
そんな私を見て律くんはククッと笑いながら、「だって周にバレたらとんでもないことになっちゃうでしょ?」と言った。
「そりゃそうだよ! 間違ってもそんなこと……」
「だから、まどかさんのお友達も同じだと思いますよ。旦那さんに見つかれば面倒なことになりますし。子供だって普段預けて出掛けているわけでしょ?
親権とられたっておかしくないし、相手の男性だって慰謝料を払うことになる。話を聞いてる限り、そんなこともわからず間違いを侵すような人達には思えないし……」
律くんは、私から聞いた話だけで冷静に分析している。
「じゃ、じゃあ……不倫はしてないってことで……」
「だと思います。そう考えると、なぜまどかさんに相談しないか、ですよね」
「うん……」
「女性同士のいざこざは、俺にも理解できませんけど……まどかさんだから言えないってことなのかも」
「私だから?」
律くんなら答えをくれるような気がして、身を乗り出す。
「まどかさんは新婚だし、周とも上手くいってるわけじゃないですか。その状況がおもしろくないのかも」
「え!? 茉紀は、私の幸せに嫉妬するような子じゃないよ!」
「まあ、本来はそうなのかもしれないですけど、向こうの夫婦仲がよくないとしたら? 旦那の方から離婚を切り出されている可能性だってなくもないし。逆に、旦那の方が不倫してるとか」
「えぇ!?」
……そんなことまで考えていなかった。単純にハイジさんと仲良くなった茉紀のことしか見えていなかった。
たしかに、旦那さんの方が不倫している可能性だって……。
「それなら、周にえらく愛されてるあなたに、打ち明けにくいのもわかる気はするんですよね」
「そっか……。で、でもね! 私は臣く……結城さんの浮気現場を見た時、その事だって茉紀には相談したんだよ? それなら、茉紀も私に相談してくれてもいいんじゃないかな?」
「まあ、その時とは状況が違いますからね。その時には、茉紀さん? は既婚者で、まどかさんは独身だった。結婚の経験のないまどかさんにアドバイスするような立場だったわけですから、その相談には乗るんじゃないですか?
でも、今はどうですか? 浮気や不倫とは無縁で、喧嘩だってほとんどないようなあなた達に、自分の不幸話を打ち明ける気になれますかね?」
……それはそうかもしれない。私だって、もしも茉紀が新婚夫婦で今がラブラブ絶頂期でとても幸せそうな様子だったら、雅臣の浮気のことを相談できたかわからない。
茉紀はいいよね、旦那さんに愛されて。私なんて、婚約までしてるのに浮気されて、その現場まで見るはめになったんだから! なんてやっかみを抱いたかもしれない。
そう考えると、律くんの言う線も否めない。
最初のコメントを投稿しよう!