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近衛真緒美は一歩下がって「な、何言ってるんですか? 私は別に」とあまねくんに向かって言った。
「外まであんたの大きい声漏れてたけど」
壁から背中を離したあまねくんがあからさまな溜め息をついてそう言った。
「それ、私の声だって言う証拠でもあるんですか?」
開き直ったのか、強気でそんなことを言う彼女。世の中の女性は気の強い子が多いなぁと思わず苦笑した。
「まどかさん、録った?」
そう言われて私はバッグからボイスレコーダーを取り出した。こちらに近付いてきたあまねくんにそれを渡した。
黙って受け取ったあまねくんは、再生ボタンを押す。
「ちょっとテレビに出たからって調子に乗らない方がいいですよ! 私からすればあなた程度なんて凡人ですから!」
「そう思っているならそう突っかかってこなくてもいいんじゃないですか? あなたは若くて綺麗で人気もある女優さんでしょ? 男女問わず好かれているあなたが、私みたいな凡人にむきになることなんてないんじゃないですか?」
「そっ、それはそうだけど……」
上手に録れている私達の会話がその場に流れた。
「な、何よそれ……信じらんない! 録音してたの!?」
近衛真緒美は顔を真っ赤にさせ、声を荒げて私を睨み付けた。あまねくんは私の腕を掴んで自分の方へ引き、距離を縮める。彼と距離が近くなったことで安心する。
「……どうせ体使って既成事実作ったんでしょ。淫乱女!」
最後の言葉まで流れ、あまねくんは目を伏せて停止ボタンを押した。
彼はゆっくり顔を上げ「体使って既成事実作ったら悪いことなの?」鼻で笑ってそう言った。
「え?」
困惑した表情を浮かべる彼女はその場で立ち尽くす。
「俺が欲情して抱いたんだよ。それって悪いこと?」
あまねくんはにやりと妖艶な笑みを浮かべる。
うわぁ……時々色っぽい顔するんだよなぁ。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃう。
私はきゅっと口を結んで、あまねくんの顔を見上げた。
「そ、それは……」
「いくら女の武器を使われても、欲情しなきゃ抱けないよ。君みたいにね」
「なっ……」
あまねくんの言葉に、彼女は信じられないと言ったように瞳を揺らした。
「可愛い、可愛い言われて勘違いしてんじゃないの? そんなに色気のない体に誰が欲情するかよ。他人の女、淫乱呼ばわりする前に色気の出し方勉強した方がいいんじゃないの?」
馬鹿にするかのような物言いに「ひっど……」と彼女は顔をひきつらせた。
陽菜ちゃんには直接勃たないとは言わなかったのに……。さすがにこれは傷付くんじゃないかと思っていると、伊織くんが彼女の隣に並んだ。
「ちょっと君、いくらまどかさんの旦那さんでも言っていいことと悪いことがあるんじゃないの? よくもそんな酷いことを女の子に対して言えたもんだね」
伊織くんは目を吊り上げてそう言った。
「へぇ。その人のこと庇うんですね。まどかさんが淫乱呼ばわりされてるのに」
「いやっ……それは、もちろん真緒美ちゃんが悪いよ! でも、君が言ってることはセクハラにも値する」
「セクハラ? その人がまどかさんを淫乱呼ばわりしたことはセクハラになんないの?」
「それは……」
「女同士ならならないの? どうなんだよ」
抑揚のないあまねくんの言葉に、伊織くんが圧倒される。こうなってしまったら、私では止められない。
「いや……だから……」
「そもそもその人があんたに気があるの知っててこの場に連れてくるのもどうかと思うよ。まどかさんに気のあるような振りして、モテるアピールするために呼んだの?」
「ち、違う! 俺は本当に皆で仲良くて!」
「どうだか。酷い言い方だとかセクハラだと言うけど、あんたまどかさんタイプなんでしょ? その女抱けんのかよ」
「なっ……君は何言って……」
「そういうのはっきりさせてやらないから、余所で嫌がらせするんでしょ? 女の嫉妬は女にいくって言うし。嫌な女」
あまねくんが低い声でそう言うと、近衛真緒美はその場でわぁっと泣き出した。
「ちょっ、真緒美ちゃん!?」
伊織くんが彼女の背中をさすりながら動揺する。
「すぐに泣く女も嫌い。泣くくらいなら最初から攻撃しなきゃいいのに。泣けば済むと思うなよ。お前はとりあえず謝れ」
「あ、あまねくん……さすがにちょっと言い方キツイよ」
私は慌ててあまねくんの腕を掴むが、「まどかさんはちょっと黙ってて。あなたはすぐ甘やかすから。こういうことはちゃんとしておいた方がいい」なんて言われてしまった。
ぐっと言葉を飲み込む。
「早く、謝ってよ。嫌な思いさせてごめんなさいって」
「……」
近衛真緒美は何も言わずにぐずぐず泣いている。
「泣いてないで謝れって言ってるんだよ」
「ちょっと待ってあげてよ! 俺が代わりに謝るから! まどかさん、本当にすみません。遠くまで来ていただいたのに、こんな思いをさせてしまって」
伊織くんは、近衛真緒美の隣で私に頭を下げた。
「何言ってんの? あんたが謝るのは当然でしょ。自分から誘っておいて、こんな常識のない勘違い女連れてきたんだから。しかも、真っ先にまどかさんに謝らせるでもなく酷いことを言うだなんて言ってのけるんだからさ。あんたが謝ったところで代わりになんかならねぇからな」
あまねくんの怒りが頂点に達してしまったのか、口調がどんどん荒くなる。
ああ、もう……こんな時、律くんやハイジさんがいてくれたら上手くこの場を治めてくれるのに……。
心の中で悲痛な叫びを上げる私は、伊織くんとあまねくんの顔を交互に見る。
伊織くんは顔をひきつらせ、「真緒美ちゃん、とりあえず謝ろうか」と彼女に声をかけた。
「な、何で? 何で間宮さんまでそんなこと言うのぉ? あの人のことばっかりそうやって……」
まだぐずる近衛真緒美に「でも最初に彼女に嫌な思いをさせたのは真緒美ちゃんなんだから……」そう伊織くんが説得したことで「……すいませんでした」と泣きながら小さくそう言った。
そんな姿を見ても全く可哀想だと思えないのは、私が彼女のことをとても嫌いになったからだろう。
「では、俺達帰りますね。これでわかったでしょ? あなたにはまどかさんを喜ばせることも楽しませることもできないって。嫌な思いをさせるだけ。わかったら金輪際、妻には近付かないで下さい。
妹がお世話になりました。もし、妹に危害を加えるようなことがあったらこれ……、それなりの使い方させてもらいます」
そう言ってあまねくんが掲げたボイスレコーダーは、録音中のランプが付いていた。
「そ、それなりって……」
「こういうの出回ったらまずいんじゃないんですか? 芸能界って」
あまねくんがそう言うと伊織くんは一気に青冷めた顔をさせた。
「行くよ、まどかさん」
そう言って手を引かれる。私が伊織くんに謝るのも何か違う気がして、軽く会釈だけしてあまねくんと店の外に出た。
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