効果覿面

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「そんなの、理由はたくさんあるよ。いつも自分のことよりも私のことを考えてくれるの。妊娠する前から私のことを気遣ってくれて、辛い時も嬉しい時も一緒にいてくれたの」 「俺は……凄く辛い時にまどかさんに救われたんです。だから、俺もまどかさんに恩返しがしたいです」 「もうしてもらったよ。奏ちゃんが伊織くんの番組に出たこと、凄く喜んでた。伊織くんには素敵なプロデューサーさんでいてほしいって思う。それだけで十分だから。もし、それ以上の感情を私にもってくれているのだとしたら、私はそれには応えられないよ。  この先もずっと私は主人しか見えないから」 「……そんなに好きなんですか?」 「うん。大切なの。私ね、人生の中でこんなに夢中になれる人に出会えることがあるんなんて思ってなかったの。きっと普通に恋愛して普通に結婚して子供が産まれてって漠然と考えてたんだ。でも、主人と出会ったら色々変わったよ。  私の方が夢中になって、主人からも愛されてるなぁって感じるの。今が凄く幸せだから、誰にも邪魔されたくないんだよ」  思いがけず長電話となり、冷える寝室では寒くなってきた。暖房をつけて、ぴったりと閉めたドアを見つめる。1階にはあまねくんがいる。あまねくんに対する愛を語ったら、早くその腕に抱き締めてもらいたいと強く思った。 「……羨ましいです。まどかさんにそんなに想われるなんて……。旦那さんはいいですね。イケメンで凄いお仕事についてて、まどかさんみたいな素敵な奥さんもいて」  ゆっくりと静かに彼はそう言った。 「そんなふうに見える? あの人には、あの人なりの悩みがたくさんあるよ。何でも簡単に手に入れたわけじゃないの」  本当は弁護士を目指したかったあまねくん。大学では劣等感を抱いて税理士の道を選んだ彼。私や他の人から見ればとても立派な仕事だけれど、あまねくんの中には私達にはわからない葛藤がたくさんある。  私のことだって、菅沼さんとの仲を誤解して子供みたいに泣いたり、雅臣を抑えて守ってくれたり。  時々驚かされることもあるけど、あまねくんは私の大切な人を傷付けるようなことは絶対にしない。  それがあまねくんと伊織くんの違い。 「その悩みを知ってるから、そんなふうに好きでいられるんですか? 俺だって簡単にプロデューサーになったわけじゃないです……」 「そうだね。私よりも年下の伊織くんが、その年で今のポジションにいるのは凄いことなんだろうね。そこに関しては、たくさん努力もしただろうし尊敬するよ。色んな芸能人とも交流があって、華々しい生活を送ってるんだなぁって思う。  だから、これからもそこで頑張ってほしいよ。でも、主人と伊織くんは違う。彼は、せっかく苦労して手に入れたものを利用しようとしたりなんかしないの。何よりも大切にしようとするの。だから好きなんだよ」 「……まどかさん」 「私は、イケメンだからとか税理士だからっていう理由で主人を好きになったわけじゃないの。だから、伊織くんが凄く有名なプロデューサーさんでも、一流の芸能人とお友達でも好きにはならないよ。  主人の人間性が好きだから。だから、伊織くんも、肩書きじゃなくてちゃんと伊織くんの中身を好きになってくれる子と出会ったらきっと考え方が変わると思う」 「俺……間違ってますか?」 「間違ってるわけじゃないと思う。実際、芸能人と繋がりたい人も、伊織くんの肩書きに興味をもつ人もいると思うから。でも、私は違うの。伊織くんとの考え方とは合わない」  ここまではっきり言うつもりはなかった。以前の私なら、遠慮して言えなかったと思う。けれど、私はあまねくんをこれ以上傷付けたくはないし、お腹の子も奏ちゃんも守りたい。  伊織くんが私の言葉にしか耳を貸さないのであれば、私が納得させるしかない。 「旦那さんといたら、まどかさんはずっと幸せですか?」 「うん。とっても。だから、私の幸せを願ってくれるなら主人と穏やかに暮らせるようにしてほしい」 「……わかりました。で、でも……たまにはこうやって声を聞きたいです」 「伊織くん、それも困るんだ。文章のやり取りも、電話のやり取りも私と主人にとっては困ることなの。だからもうこれっきりにして。私も連絡先消すから」 「まっ……待ってください! これっきりなんて言わないで下さい! 俺、本当にまどかさんの事が好きなんです」  ああ、遂に言われてしまった……。執着心から勘づいてはいたけれど……。  もしも私があまねくんと出会っていなくて、雅臣は議員の娘さんと結婚話が進んでいて、私は呆気なく振られていて。雅臣のお父さんの事務所も脱税の事実が見付からず、飄々と生きていて……それを指を咥えて見ていることしかできない。  そんな空っぽな人生を今送っていたのだとしたら……優しさに飢えた私は伊織くんに惹かれただろうか。  一瞬、違うルートの人生が頭を過ったが、私の人生は今のルートに進んだ。あまねくんに出会い、救われ、幸せを知った。  彼に出会ってしまったら、どんな男性だって目に入らない。あまねくんよりも先に伊織くんに出会っていたとしても、私はゆくゆくあまねくんを選んだのだと思う。 「伊織くんがそう思ってくれる以上に、私は主人のことが好きだよ。だって、伊織くんは24歳の時の私で止まってるでしょ? あれから10年近くも経って、私だって変わったの。伊織くんが好きでいてくれた時の私じゃないよ」 「そんなことないです! 優しい笑顔も、話し方も、美しさも全然変わらない! 多くは望みませんから……こうして少しだけ声が聞きたい……」 「私は単なる主婦で、母親だから。ごめんね」 「嫌です! 月に1回だっていい! また会いたい……」 「もう会えないんだって。わかってよ。伊織くんには、伊織くんのことだけ見てくれる人と幸せになって欲しいって思う」 「そんな人、いりません! だって、もう諦めてたのに……二度と会うこともないと思ってたまどかさんと再会できたのに……もう一度会えたってことは……」 「運命じゃないよ。私の運命の人はあまねくんなの。伊織くんじゃない。これ以上はもう話はできないよ。わかってくれるでしょ?」 「……諦めたくありません」  私は段々と重たくなる頭をベッドに伏せながら、深い深い溜め息をついた。  私の言葉なら納得するんじゃなかったっけ。 「……しつこい人は好きじゃない」 「え?」 「粘って手に入るものと、入らないものがあるの」 「……わかってます」 「じゃあ、納得して。もうこれで終わり。さようなら」  私はそう言って一方的に電話を切った。こういうことははっきりさせておいた方がいい。雅臣のように刺しにくる人間もいると知ったから。  変な同情は相手のためにはならない。私は嫌な人間かもしれない。でも、あまねくんとの幸せは誰にも邪魔されたくない。  私は、伊織くんの連絡先をブロックした。トーク画面は、いつか何かの証拠になるかもしれないため、仕方なくとっておくことにした。
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