見えない季節を越えて

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「寒いな」 ぽそっと漏らした彼の唇から、ふぅっと白い息が漏れる。 漏れた息は白い靄に変わり、宙に浮いて、空気に溶けて消えていった。 あぁ、わたしたちの様だ。 自分の意思とは関係なく漏れて溶けて、そして消える。 永遠なんてない。 『未だに初詣行ってないから行こうよ』 彼を連れて、目の前には何段にも連なる石の階段。 降り積もった雪の下は氷のように滑らかで、うっかりしたら転んでしまいそう。 ゆっくりゆっくりと踏みしめていく。 午前4時、2月初めの朝はまだまだ暗い。でもどこかに光の始まりを感じる。 寒さが突き刺すような空気は朝の新しい空気と交ざって、お酒に浮かされてぼんやりとした頭を無理やり醒めさせようとする。 ようやく登りきったわたしたちは神様になにを祈るでもなく、今登ってきた『下界』を並んで見下ろす。 さっきまでわたしたちがいた世界。 わたしたちが戻るべき世界。 『下界』に降りたら、わたしたちはになる。 じゃあ、いまは? いまのわたしたちの名前は、なんなのだろう。 「寒いな」 隣にいる彼を見上げれば、白い息を吐きながら鼻をすする。 下に降りたら彼はわたしではない誰かの吐息と混ざり合う。 名前をつけられないわたしたちは混ざることはもう、ない。 「そうだね」 宙に浮かんだ彼の吐息を、掴んでポケットへ閉じ込めたい。 消えるとわかっていても、それが何の意味も持たないことをわかっていても。 「行くか」 「うん」 わたしの唇からも白い息が漏れる。 彼と同じ、宙に浮いて、空気に溶ける。 溶けて、消える。 真っ直ぐ前を見て言葉を紡ぐ彼の白い息と、わたしの白い息が混ざり合うことはない。 冬は春になり、吐息の色は透明になる。 宙に浮いた様も、空気に溶ける様も、見えなくなる。 わたしも、彼も、誰かの息の色も。 息が色づく季節がまた訪れるまで。
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