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差異
朝五時。冬も開けはじめてはいるが、まだまだ日の出には早い時間。有川は目を覚ましていた。異世界にいた時の感覚が抜けず、早起きが続いている。あまりいい夢に恵まれず、もう一度寝る気にはなれなかった。特にやることもないため、なんとなくランニングに出かける。懐かしいスニーカーの感触に、知らず笑みがこぼれる。
異世界にいたころはいつも朝が早かった。そのまま鍛錬をし、朝日とともに朝食をいただく。一年続けてきた生活習慣は急には戻らず、寝坊ギリギリだったころの自分を少し懐かしんだ。小学校前の道を行く途中、ようやく空が白み始める。
眠っていた町が起きだすように、少しずつ物音が生まれ始める。商店街から始まった物音はしかしまだまだ小さく、ここが日本なのだと再度実感する。道行く人は皆黒髪で、日本語で挨拶し、軽く会釈する。社会の授業で世界史に触れてはいたが、実感はできていなかった。生きる人や生きる場所が違えば、歴史も、文化も変わっていく。当たり前のことで、有川が強く思ったことだった。
「帰ってきてこれを思うとは……」
向こうに染まったものだと自嘲し、歩調を強める。優しく、しかし鋭く輝きだした太陽を背に、徐々に家へと歩を進める。異世界にはあまり無かった、平穏な時間。コンクリートの感覚と、優しい人々。
自分の影が伸びゆくのを見て、有川は不意に孤独に襲われた。拭いきれない虚無感と、大きな無能感。振り切るように、強く一歩を踏み出す。自分のペースを崩した走りは一気に息を乱し、荒い呼吸を繰り返すことになる。それでも彼は走ることを止められなかった。急いで家のドアを開けて中に滑り込み、ようやく強く息を吐く。肩で息をする息子の様子に、母親はひどく驚いた様子だった。
「ちこく、するかと、思って」
着替えてくると言って立ち去る足音は、ひどく小さなものだった。自室の扉を閉め、そのままうずくまる。自分の心臓の音が煩い。
『いつか、俺の選択を肯定する』
つい先日聞いた言葉が甦り、思わず耳を塞いだ。何度も繰り返される言葉を振り払うように、勢いよく立ち上がる。制服に着替え、リビングへと向かった。
声は、もう、聞こえなかった。
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