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喪失
『いつか、俺の選択を肯定する』
いつも悪夢はその台詞で幕を閉じた。チャイムが鳴り響き、授業終了を知らせる。伏せていた顔を上げ、片づけを始める。窓側に顔を向けると、雨が降り始めていた。
「有川は授業の復習、しっかりな」
教師が教室から出る際に、彼に声をかけていった。ただでさえ良いとは言えない成績にも関わらず一年も勉強を放っていた上に、授業の内容は一週間分聞き逃している。ついていけないのも当然の結果だった。どこか不服に思う気持ちを収め、淡々と帰る準備をこなしていく。
一週間の欠席からしばらくして、有川の周りには大分平穏が戻っていた。教師に当てられても答えられず、そのまま席に戻ることが増えた。最初は席の周りに集まってきていたクラスメイトも、今ではすっかり元に戻り、有川の周りは静かになった。有川はまた、平凡な男子高校生として、生きていくのだ。
自宅までの帰り道。雨粒が静かな音を立てる中、それを遮るように傘をさす。乗っていた電車が去っていく音が、少しずつ遠ざかっていった。安いビニール傘を肩にかけ、ゆっくりと坂道を下り始める。中ほどまで来て、いつもとは違う路地に入った。
誰もいない、雨音だけが耳を支配する。有川は少しうつむき気味に歩を進め、やがていつかの公園前に差し掛かった。顔を上げ、後ろを振り返る。
そこには何もなかった。有川が希望した、日常以外のものは、存在しなかった。唇が震え、意図しない吐息が漏れる。次第に震えた声が零れだし、自分が泣いていることに気づいた。ずっと心に残っていたモヤモヤに、向き合ってしまった。
有川はもう平凡な男子高校生に戻ったのだ。
勝手に涙があふれだし、気づいてしまう。その気持ちが喪失感だと言うことに。ともに歩んだ仲間もいない。切磋琢磨したライバルも、味方してくれたもの達も、培った技術も、全て失ってしまった。もう誰も、有川に注目することはない。勇者だった自分はもういない。騒ぎになった目まぐるしさゆえに目をそらし続けていたものが、ついに追い付いてしまった。彼は、戻ってきてしまった。
『いつか、俺の選択を肯定する』
いつか、は、今だった。
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