第1章

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第1章

 自慢ではないが、自分の特技の一つは滅多な事では起きない事だと思っている。  流石に髪の束を掴まれて、マンドラゴラよろしく全力で引っ張り起こされたり、裸足状態の足の裏を火で焙られたり、手加減無しの踵落としを見舞われそうになったりしない限りは布団と仲良くなっていられる自信がある。  幼少の頃、ろくに眠れない日々を過ごしていた反動なのかはわからないが、家を飛び出してある程度の年月が過ぎた頃から眠りが深くなった。 (正確には、こうやってゴロゴロしてる時間が好きなだけなんだよね)  目は閉じたまま、エイスは脳内で呟く。  きちんと意識が覚醒しているとしても、この暖かくてふわふわな寝具達とは離れがたく、ついこうして再び眠気が訪れるまで目からの情報を遮断してしまうのだ。  しかし、今遮断すべきは目からの情報ではなく、嫌でも耳に届いてくる騒音だ。  騒音……というより人が怒鳴り合う声なのだが、エイスが意識して聞いているだけで既に十分近くは経過しているだろう。億劫すぎて時計を確認していないが、なんとなくの感覚ではそれくらい経った気がする。  逃げるように布団を頭まで被り、もそもそと寝返りをうってドアに背を向けるが、その瞬間にドタンッという大きな音が聞こえてきた。 「やったなこの野郎!先に手ぇ出してきたのはお前だからな!?正当防衛使うぞコラァ!」 「口を出したのはお前だぞ!ボクのこれこそ正当防衛だ!」  布団ガードのおかげで所々不鮮明だったが、恐らくこんな感じのやりとりをしているようだ。  先程の音は、リャードがカルディアにひっくり返され、床が鳴った物だろうか。また何か地雷を踏むような発言をしたに違いない。 (てゆーか、カルにやられるなんてリャードったら油断しすぎでしょ……)  口喧嘩に夢中になりすぎて不意をつかれでもしない限り、そんなヘマはしないしなぁと思考を付け足す。  もう少し無視したかったが、そろそろ止めないと本格的な乱闘が始まりそうだ。  完全に眠気と睡眠欲が飛んでしまったエイスは、やけに重く感じる体を起こして寝癖だらけの髪と首筋を掻く。自分でもわかる程、寝起きは最悪だ。  もそもそと半裸の上半身に服を着込むが、靴は履かずに冷たいフローリングに下りて裸足のまま部屋を出る為歩く。  ドアを開ければ、よろず屋の事務所として使っている、元はブティックだった部屋の中でリャードとカルディアが取っ組み合いをしていた。  床に押し付けられ、両の頬をつねられているリャードは、その上に跨がっているカルディアの顔面を手の平で押し返すようにして抵抗している。  二人共、二十歳前後のいい歳をしているというのに、喧嘩の手法はまるっきり子供である。一応エイスの家の中だという事を考慮してくれているのかは不明だが、術を持ち出していないだけまだ冷静な方だ。  それにしても大人げない……というか、実に滑稽だ。 (写真に撮って後で見せて反省させた方がいいのかな)  あいにく、手が届く所にカメラは無い。何度目かの髪を掻き、嘆息がてら息を吐く。 「二人共、もう少し静かにしてくれない?朝っぱらから騒ぎすぎだよ」  バカだのアホだのチビだのデカブツだの、五歳児でも簡単に引き出せ低レベルな罵り合いを続ける二人の耳には当然届かないエイスのぼやき。  互いに攻撃が変わり、リャードは一つに束ねた髪を引っ張られ、今度はカルディアが頬をつねられている。  痛そうだなとうっすら思いつつ、少しだけ語気を強めて続ける。 「乱闘するなら表でやってくれないかな?この前だってリビングの床に穴空けたばかりじゃないか。フローリングの張り替え面倒くせぇとか、一ヶ所だけ色が違くて気持ち悪いなとか言ってたのはキミ達でしょ?それから、キミ達の声は外まで漏れてて、ご近所さんとか通りすがりの人達に笑われてるんだからね?『アッシュさんのお宅は、いつも賑やかねー』ってお隣のお婆ちゃんにも言われて……俺、恥ずかしくて何も返せなかったよ」  後半はただの愚痴なのだが、説教ついでに吐き出してやる。しかし、予想通り二人に聞こえた様子はない。  エイスはゆっくりと時間をかけて鼻から息を吸う。そして、部屋側のドアの近くにあるポールハンガーに引っ掛けたままになっているコートから手探りで銃を取り出し、何の躊躇いもなく引き金を引いた。 ―――パァンッ  乾いた音と同時に放たれた弾丸は、リャードとカルディアの鼻先の間をくぐり抜け、床へとめりこむ。  微かな風が鼻先を掠めたのか、先程までの騒ぎが嘘のように静まり、引きつった顔で床の穴を凝視している。  エイスが大きな咳払いを一つしたのを合図に、二人は全く同時に油の切れたおもちゃのようにゆっくりと首を巡らせて彼を向く。  やっとこちらを意識した二人に、未だに硝煙が消えない銃口の奥でエイスはにっこりと微笑んだ。 「静かに……してくれるよね?」  間抜けに口を半開きにしたまま、リャードとカルディアは何度も首を縦に振って了解したことを示す。  次いで、笑顔のままソファを指差して座れと無言で命令し、一足先に腰かける。  これから始まる説教が億劫だと言いたげな様子だが、自業自得なのもわかっているので、のろのろとそれに従いエイスの対面に座る二人。  揃って肘置きに体を密着させているので、二人の間には三十センチ程の距離がある。肩はおろか、服の端ですらくっつけたくないらしい。  ムスッと顔をしかめて腕を組むカルディアと、不服そうに頬杖をついてそっぽを向いているリャードをそれぞれ見てから、エイスはため息混じりに口を開く。 「よくもまぁ、キミ達は飽きもせずに喧嘩出来るよね。それも、この半月間毎日毎日……俺もそろそろお説教するのが嫌になってきたよ」 「じゃあしなきゃいいだろ……」  ふてくされているリャードがぼそりと吐き捨てる。 「そーゆー訳にもいかないの。さっきも言ったけど、キミ達の喧嘩はご近所迷惑になりかけてるんだから。それに、まがりなりとも俺は二人の上司な訳だし、部下の揉め事を治める義務がある。それで……今回の原因は?」 「コイツが先に――っ!!」  ここぞとばかりに二人は声を揃え、身を乗り出しながら互いを指差す。  動作が重なった事に気付き、これまた同時に睨み合う。 「ボクが……何だって?」 「お前こそ、オレが何だって……?」 「はいはいはいはい」  なげやり気味に手を叩きながら仲裁し、これ以上二人を一緒の空間にいさせては埒が明かないと判断したエイスは、それぞれに罰則を与えた。  リャードはいつものように朝食の準備。カルディアは床の弾痕の始末なのだが、自分が空けた訳ではないからと拒否された。  では、そもそもの原因を作ったのは誰かと言い返せば、正論と言えば正論なので、反撃してくる事はなく渋々と――しかし、不満そうに承諾した。 「それじゃあ、頼んだよ」  とりあえず小競り合いが終結した事を確認したエイスはひらひらと手を振り、寝癖でボサついた髪を整える為席を立つ。 「……お前のせいだからな。チビ」 「それはこっちの台詞だ。男女」  同時に立ち上がり、同じ速度でエイスが入っていった住居に繋がるドアに向かう。そして、やはり同時にドアをくぐろうとした為、肩と肩がぶつかってそのままつっかえてしまう。抜け出そうともがくものの、にっちもさっちも行かない。 「おいチビ……ボクを先に通せ」 「けっ。こーゆー時だけレディーファーストってか?ふざけんなよ」 「誰がそんな事を言った。お前は年上を敬う事を知らないのか?」 「たかが一つ年上ってだけで人生の先輩面かよ。じゃあオレだって、よろず屋としては先輩なんだから敬われるべきだよな」 「お前はただの雇われ主夫だろう?ボクは一度もお前を先輩だと思った事はない」 「誰が雇われ主夫だコラ。お前らがまともに家事やらないからオレが仕方なくやってるんだろうが」 「何やってるの二人共……」  ドアに仲良く挟まってギャンギャン騒いでいるリャードとカルディアを、洗顔等を済ませて戻ってきたエイスが呆れ顔で見下ろす。  寝癖を直すのに苦戦したのか、髪はしっとりと濡れている。 「そんな所で遊んでないで、さっさと自分の仕事に取りかかりなよ?その後は買い出しも控えてるんだから」 「遊んでねぇ!つか助けろよ!」  後頭部の直らぬ寝癖に手櫛を入れつつリビングに入っていくエイスの背に、リャードが怒鳴る。その声量に、すぐ横にいるカルディアは鼓膜をやられたのか大きくのけ反った。 「み、耳元で喚くなバカ……っ」 「あ、悪――……」  謝ろうとしたリャードの脛に、カルディアは思い切り爪先を叩き込む。 「ぅぎ――っ!」  声にならない悲鳴を上げ、うずくまるリャードの脇を何とかすり抜けたカルディアはわざわざ振り返り、 「ざまぁみろ」  と、僅かに舌先を出して捨て台詞を吐いてから清掃用具や工具などがしまわれている階段下の収納スペースへと向かう。 「くそ……後で覚えてろよ……」  ドアノブにしがみついて立ち上がり、毒づいてから激痛で震える足を庇いつつリビングへ――入る直前、収納スペースから出てきたカルディアが抱えているフローリングの板がリャードの背に直撃した。 「い――っ!てめえコラ!ちゃんと前見ろよ!」 「知るか。ボクはちゃんと確認してから出てきたんだ。お前がぼけっとしてるのが悪い」 「どっかの凶暴女が足を蹴飛ばしたから上手く歩けねぇんだよ!」  リャードの反撃には一切耳を貸さず、カルディアは早足で事務所での雑用を片付けに行ってしまう。  悔しげに唸り、憮然としたままキッチンに入れば、リビングにある椅子で新聞を読んでいたエイスがひょいと顔を上げた。 「何?また揉めたの?」  それには答えず、リャードは仏頂面のまま黙々と食材を並べていく。  今ある食材は、前回の依頼で倒した魔物の干し肉と僅かな野菜。それから行きつけの飲食店、『レストラン・喫茶・バー』の店主であるゴードンから譲ってもらった調味料や香辛料が数点だ。  いよいよ食材も底をついてきたので、この後の買い出しで少し追加しなければと顎を指で叩く。  現状作れそうな料理のレシピを脳内で羅列しているうちに苛立ちが治まってきたので、今まで険しかった顔立ちも元に戻る。 「おや、メニューが決まった感じ?」  雰囲気が変わった事に気付いたエイスが再び顔を向ける。  リャードは今度はきちんと頷いてから作業に取りかかる。 「あぁ。干し肉を煮込もうと思って。スープ状にすりゃ、パンにつけて食えるしな」 「あの魔物、食肉にもなるんだねぇ。村長さんと何か話してるなーと思ったら、いきなり肉を捌きだすんだもん。びっくりしたよ」  苦笑するエイスに、リャードはからからと笑い返し、肉の臭みを取る為か香辛料を振りかける。 「あの魔物、オレが修行場にしてる森にもいるからさ。昔はよく親父が狩ってきて鍋にしたり、こうやって干し肉にしたりして食ってたんだ。味とか食感もイノシシに似てるだろ?」 「ちょっと固くて臭みあるけどね。あんなのを食べようと思った先人達もなかなかのチャレンジャーだなぁって思うよ」 「まぁ、毒があったら食わなかっただろうけどな。田舎者ってのは、そんなモンだ」  慣れた手つきで肉の下処理を終えたリャードは休む事なく野菜の加工に取りかかる。  料理をしている間はリラックス出来るのか、ついさっきまで怒鳴り散らしていた事が嘘のようだ。  完全に彼の機嫌が直った事を確認してから、エイスは読んでいた新聞をテーブルに置き、背もたれに寄りかかる。 「それで?今回の喧嘩の原因は?」  冷静になった所で改めて問いただしてみれば、再び機嫌を損ねてしまったらしくリャードの眉間に浅いシワが寄せられる。  だが、流石に声を荒らげる程ではないようで、唇を尖らせながらぽつぽつと話し始めた。 「……まぁ、今回はオレが悪い部分が殆どなんだけどさ……さっき、洗濯するのにこれを外したんだよ」  これと言って見せてきたのは、いつも左手に着けている黒のリストバンドだ。三年もの間使い続けているので、だいぶくたびれ始めている。 「いつもは直前に外すんだけど……今日はたまたま事務所で外して置いてったんだ。それを、カルディアが見付けて持ってきてくれて……その……」 「見られちゃったんだね?傷痕を」  言いにくそうに言葉を濁したリャードに、顛末を察したエイスが先に言う。そうだと頷き、少しだけバツが悪そうに視線を反らす。 「よくよく考えたら、オレの不注意が原因なんだよ。カルディアだって、悪気があった訳じゃないし、むしろ親切心で届けてくれたんだってわかっちゃいるんだ。けど……傷痕を見られて気が動転して、つい怒鳴っちまったんだ」 「それじゃあ、素直に謝ればいいじゃないか」 「謝ったよ。ちゃんと。でも、アイツ……嫌だって言ってるのに、しつこく傷の事を聞いて来るから腹が立って……」 「……そろそろ話してあげてもいい頃合いじゃない?何をそんなに意固地になってるの」  眉を寄せるエイスをリャードは睨み付けた。 「アイツは、まだオレを仲間だと認めてないんだ。そんなヤツにペラペラ喋れる程、軽くはないんだよ。この傷は」  右手に持つ包丁の柄がみしりと音を立てた。思わずエイスは口をつぐむ。  ハッと我に返ったリャードは「悪い」とうつむくように頭を下げたものの、表情はまだ固い。  彼からの謝罪を無効にするように、エイスは失言したと両手を小さく上げた。 「いや、今のは俺が悪かった。キミがそれについて話すのは、本当に気を許した相手だけって知ってるのにね」 「……別に、カルディアを嫌ってる訳じゃない。ただ……アイツがオレを邪険にするから、話せないでいるだけだ。ちゃんとこの距離が縮まったら……話すつもりだ」 「俺が見た感じ、カルはちゃんとキミを認めてると思うよ?確かに少し喧嘩腰な気もするけど……何を根拠に認められてないって思うんだい?」 「お前……気付いてねぇの?」  顔をしかめるリャードに、何がだろうと首を傾げるエイス。舌打ちを堪えるように一度口を閉じてから、 「アイツ、オレの事をまともに名前で呼んだ事ないんだよ」  と、低い声で呟いた。 「え?」  それに対し、エイスはぱちくりと瞬きした。  やっぱりなと嘆息し、スープの仕上げに取りかかる。匂いからして、トマトベースの味付けらしい。 「オレを呼ぶ時はいつも、チビだの銀髪だの、悪口か身体的特徴なんだよ。こっちはちゃんと名前で呼んでるっつーのにさ」 「……本当に呼ばれた事ないの?」 「ねぇよ。初めて会った時にフルネーム確認されたっきり、リャードのリの字も出た事ないね」 「へ、へぇー……」  生返事にも似た相槌を打ち、エイスは首を捻る。 (おかしいな……カルはたまに、リャードの事をフルークって呼んでた気がするんだけど……) 「修理、終わったぞ。朝食はまだ出来ていないのか?」  リビングに入ってきて早々、カルディアは何も乗っていないテーブルを見て文句を一つ漏らす。  急かされた事が癪に障ったのか、リャードはすぐに出来ると素っ気なく返し、とりあえず先にパンを運ぶ。  相当空腹なのか早速手を伸ばすエイスとカルディアに、まるで飼い犬にしつけるように「待て」と厳しく言い放ち、まだ少し煮込み足りないがスープも配膳してようやく朝食となった。 「そういえば」  パンを千切りながらふと、エイスが口を開く。 「新聞に載ってたんだけど……グエインさん、行方不明らしいよ」 「グエイン?」  急に出てきた人名に、リャードとカルディアはきょとんと目を丸める。 「ほら、コフレセラムのスポンサーのおじさんだよ。リャードはわかるよね?」 「あぁ、コフレセラムの取引先の成金だろ?顔は見てないから知らないけど……そいつが行方不明って、どういう事だ?」  パンをスープに浸しながらリャードは顔をしかめる。グエインに対する嫌悪感から思わず出た表情だろう。彼のせいで何かと迷惑を被った事を思い出したらしい。 「コフレセラムは昔、裏で人身売買をしてたでしょ?実はその仲介をしていたのが、グエインさんの商会だったらしくてね。彼の表向きのビジネスはファッション関係なんだけど、裏ではコフレセラムが仕入れてきた奴隷や術使い達を、闇市で売り捌くような事をしてたんだって新聞に載ってたよ。要は、二つの方面でスポンサーをしてたって事だね」 「なるほどな。それがコフレセラムが捕縛された事によって明るみになり、捜査のメスが入る前に逃亡したって所だろう。お忍び用であちこちに別荘やら隠れ家やらがあると聞くし、しばらくの間は治安兵との追いかけっこが続く訳か」  魔物肉の臭みに顔を歪めつつカルディア。やはり煮込み足りなかったらしい。リャードとエイスは気にならなかったが、味を変える為、珍しく香辛料を追加している。 「そーいや、屋敷にいた人達はどうなったんだろう。ちゃんと職に就けてたらいいんだけど……」  悪気が無いとはいえ、十数人の生活を奪ってしまった後ろめたさからか、リャードは顔を曇らせる。彼らしい心配に、エイスは大丈夫だよと微笑する。 「将軍殿とクーウェンが手引きしてくれたみたいで、今は全員それぞれ手に職持って頑張ってるよ。アルンさんは元の運搬会社に戻ったし、フレディンさんもこの街のどこかの飲食店で働いてるし……ログさんとサリィさんは、ハルニヤにある大手商会の庭師とメイドとして同じお屋敷にいるって。この前クーウェンが言ってたよ」 「……アンジュは?」 「リャードったら、本当にお兄ちゃんみたいだねぇ。お嬢様――アンジュちゃんはネニヴェの外にいるよ。馬車で三時間くらいの所にある町の更正施設で罪を償ってるって。オリバー君やギンさんと離れて、最初のうちは戸惑ってたみたいだけど、今では自分が犯した罪の重さに気付いて猛省してるんだって、オリバー君宛の手紙に書いてあったらしいよ。施設を出たら、リャードにも会いたいってさ」 「ん……」  安堵したように表情を和らげるが、まだ心境的には複雑なのか発した一文字の相槌には様々な感情が見え隠れしていた。  その様子を黙ってうかがっていたカルディアは、おもむろに手を伸ばし、会話の途中でリャードが手放したパンを掴んでそのまま口に放り込んだ。 「あ!?てめえ何してんだ!」  不意をつかれたリャードは咄嗟に手を伸ばすが、既に咀嚼されているパンをひったくり返す事は当然叶わない。エイスも、突然取ったカルディアの行動にぽかんとして怒る事も忘れている。  しばらく味わうようにもぐもぐと口を動かしていたカルディアは、喉を鳴らして飲み込んでからしれっと息をつく。 「いつまでも放置しているから処理しただけだ。せっかくメイファさんが焼いてくれたパンがこれ以上固くなったらもったいないだろう?」 「だからって勝手に食うなよ!それに、放置してたんじゃなくて、話してたから食うの中断してただけだ!」 「いちいち喚くな鬱陶しい。さっきエイスに言われたばかりだろう?」 「喚きたくもなるわ!お前がここまで食い意地張るヤツだとは思わなかったよ!」 「何とでも言え。これも放置するならボクが貰う」 「ふざけんな!さっき味変えてたクセに!」 「ちょっと……テーブル挟んで喧嘩しないでよ……」  とうとうスープの争奪戦まで始めたリャードとカルディアには、エイスの迷惑そうな声は届かない。  双方共に立ち上がり、相変わらず低レベルな罵声を浴びせながら、皿を自分の物にしようと躍起になっている。 (どうして、いつもこうなんだろう……)  深い深いため息が、スープから出る湯気と表面を揺らす。  理由はわかっているのだが、第三者の口から改めて聞かない限りは納得しないし、諦めもつかない気がする。 (何か二人を仲良くさせるきっかけがあればなぁ……) 「あ」  どこか間抜けた声を上げるリャードとカルディア。  どうしたんだろうと思う暇すらなく、その答えは我が身をもって知る事となる。 ―――バシャッ  真横で引っ張り合いになっていたスープ皿が、何がどうなってそうなったのかは不明だが、二人の手からすっぽ抜けてエイスの頭上に落下して中身を盛大にぶちまけたのだ。  幸い火傷をする程の熱さではなかったものの、エイスの黒髪はべったりと汚れ、毛先からはスープがポタポタと滴り落ち、なけなし程度に入っていた具材も無遠慮に頭に乗っかっている。  安物のコントのような出で立ちではあるが、ふつふつと沸き上がるエイスの怒気が、徐々に二人の顔色を真っ青に変色させていく。 「リャード……カル……」  今にも憤激しそうなのに、聞き分けの無い部下達を呼ぶ声色と、顔面に張り付けられた全開の笑顔は、不気味な程に澄みきっていた。 「いくら温厚な俺でも、仕舞いにはキレるよ?」
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