プロローグ

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プロローグ

 農業と畜産が盛んとして知られているトトイ村。  ネニヴェからはやや北西に位置し、馬車で一時間足らずで行き来出来る為、農家の殆どはネニヴェにある八百屋や飲食店、宿屋などに商品を納品している。  人口の約八十パーセントが農家なだけはあり、土地の面積の半数以上が畑や牧場で、四季折々の農作物や家畜達が目を楽しませてくれる。  昼過ぎになると、野菜を収穫する農民の姿があちらこちらで見られ、そののどかな風景をわざわざ遠方からスケッチしに来る絵師もいるのだと、依頼人である村長が言っていた事を思い出す。  だが、今はその絵師はおろか、村人の姿が人っ子一人見当たらない。家々をよく見てみれば、住民達が不安げな表情で窓から外の様子を固唾を飲みながら見守っている。  その視線の先には、茶色のコートを着こなす黒髪の男と、緑色の上着が特徴的な、長い銀髪を一つに束ねている少年。それから、黄土色のマントで身を包む水色の髪の青年がいる。  茶色のコートの男――エイス達、よろず屋の三人が立つ畑に植えられていた野菜達は皆、収穫を目前に控えていたというのに、薙ぎ倒されていたり、食い散らかされていたりと、見るも無惨な状態になるまで荒らされていた。 「さて、久し振りの依頼はこの巨大なマンモスもどきを討伐する事だけど……相手はどんな感じだい?リャード先生」  畑を荒らした張本人である、体長約二メートル程はありそうなマンモスに似た魔物を見上げながら、エイスは隣にいる銀髪の少年――リャードに問う。  食事の邪魔をされた事に対して激怒しているのか、そのマンモスもどきは硬い蹄で地面を叩き、荒々しい鼻息は足元でぐったりとしている苗木を揺らしている。  興奮して真っ赤に染まった相貌をしばらく眺め、リャードは余裕たっぷりに頷く。 「コイツはザコ中のザコだな。弱点の眉間に一発見舞ってやれば楽勝で倒せるぜ。何週間も謹慎くらって体が鈍ってるんだ。ここはオレ一人で、運動がてらサクサクッと倒してやるよ」  首を回しつつ、指を鳴らして体をほぐしているリャードを押し退けるようにして前に出たのは、水色の髪の青年だ。 「どけチビ。そんな遊び感覚で依頼を請ける気なら、この村の子供達と一緒に虫でも追いかけてろ」 「横からしゃしゃり出てきて、人の獲物取るなよカルディア。それに、虫捕りなら昨日、お前らが村長さんと話してる間に嫌って程付き合わされたわ」  言い返しつつ、リャードは水色髪の青年――カルディアの前に再び立つ。  同時に睨み付けたので、視線がガッツリとかち合って見えない火花を散らす。  魔力を持つ者――術使いの証である緑の瞳がしばし交差する。 「どうやら、譲る気はないようだな……戦闘バカ」 「当たり前だろ。お前は魔物討伐の経験少ないんだから、無理して請ける事はないんだぜ?」 「ボクが魔物ごときに遅れを取ると思っているのか?お前こそ、低身長のせいで弱点に届きませんでしたーとかいう泣き言言っても、聞いてやらないからな」 「上等だ。そこまで言うなら、どっちが先にあのデカブツを倒すか勝負しようぜ?」 「いいだろう。負けた方は、勝った方の言う事を何でも聞く……というのはどうだ」 「いいねぇ。俄然燃えてきた」 「ちょっと二人共。依頼を何だと思っ――…」 「エイス」  仲裁に入ろうとしたのだが、一歩踏み出す直前に二人に名を呼ばれる。 「お前は手を出すな」  振り返ったリャードとカルディアは、完全に臨戦体制だ。  闘争心を孕んだ魔力が可視化され、術使いではないエイスにもその青白いオーラがはっきりと確認出来た。 「あ……はい」  制止しようという思いとは裏腹に、どこか間の抜けた承諾の返事が出てしまう。つい雰囲気に圧されてしまった。 「……でも、もしもの時は加勢するからね?」 「安心しろ。もしもの時なんてのは絶対に起こさねぇよ」 「エイスは黙ってそこで見てればいい」  何を言っても無駄かと、エイスは本格的に諦めて数歩後方に下がる。  そういえば二人より後ろで控えた事はなかったなと、普段は見られない視点を試すいい機会だと気を取り直して大人しく見守る事にした。  改めて魔物に向き直り、先に動いたのはリャードだ。  弱点を突けばたった一撃で倒せる相手とはいえ、体格やウエイトの差が大幅にありすぎるし、何よりも危険なのは二本の牙だ。  数々の縄張り争いやメスの争奪戦を生き抜いてきたのだろう。その古傷だらけの獰猛な牙を、あのずっしりとした巨体の力を持ってして突き刺されでもしたら……  普通の人間なら竦み上がるその迫力満点な凶器をリャードは冷静に見据え、攻撃に備える。  タワシのように硬い毛や、脂肪と筋肉に包まれた肉体はそこそこの防御力がありそうで、ちょっとやそっとの打撃では大きな致命傷は与えられないだろう。  だが、威力とやりようによっては隙もつけるし、上手くいけば牙の一本でもへし折れる自信がある。 (カルディアには悪いけど、この勝負……オレの勝ちだな)  思わずほくそ笑み、地を蹴ったその時、 ―――クォンッ  背後から響く狼の鳴き声に似た音と、何かが迫ってくるような気配を感じ、咄嗟に身をよじった。  つい先程までリャードがいた場所を、魔力を帯びた光熱破が勢いよく通り過ぎる。  何事かと目を向けた先では、カルディアが術使い専用の『術砲 (じゅつほう)』と呼ばれる銃の引き金を引き終え、反動を堪えていた。  そのまままっすぐ空を切りながら直進した光熱破はマンモスもどきの鼻先を捉え、爆発音と断末魔の悲鳴のような声が上がる。 「ちっ。外したか」 「おいこらカルディア!撃つなら撃つって言えよ!オレに当たるトコだったじゃねぇか!」  不満を唾と一緒に飛ばしながら、リャードは大股でカルディアの元に引き返す。 「知るか。お前が勝手に軌道上に飛び出したんだろう?」  つんとそっぽを向くカルディアに、リャードが更にくってかかる。 「それになぁ!いくら一撃で倒せるからって、いきなり急所を狙うなよ!人間と違って、魔物ってのは本能で動いてるから突飛もない行動を起こす場合もあるんだぞ!?」 「その突飛もない行動を起こす前に仕留めれば問題はないだろう?それに、ボクはボクなりの手法でお前が仕掛けてきた勝負に挑んでいるだけだ。余計な茶々は入れないでもらおう」 「だからって――……っ」 「リャード!カル!」  論争に夢中になっている二人を呼ぶエイス。同時に、カルディアの攻撃で怯んでいた魔物が復活し、猛進してきた。 「くっ」  舌打ち混じりに二人は左右に分かれて突進をかわす。魔物は急ブレーキをかけて踏み留まり、素早く体を反転させると、カルディアに向かって全速力で突進する。  チャンスとばかりに、魔力を込めた術砲の銃口をしっかりと眉間に向け、引き金を引く。 ―――クォンッ  先程と同様、銃弾となって放たれた魔力は、狙い通りの軌跡を描いて突き進んだものの、身の危険を感じた魔物が振りかざした牙で粉砕されてしまう。  魔物の気がカルディアに向いている間に、隙を窺っていたリャードが地面に両手を付いた。 「土龍(どりゅう)!」  その名の通り、まるで巨大なモグラが駆け進んでいるかのように抉れる地面が魔物に襲いかかる。そのスピードに反応出来なかった魔物の前脚を一際大きな土塊が捉えた。  バランスを崩し、たたらを踏む魔物めがけて間髪入れずに両手を突き出し声も高々に叫ぶ。 「炎龍(えんりゅう)!」  当たれば一撃必殺の炎の龍が、唸りを上げながら放たれる。 ―――クォンッ  同時に、聞き慣れた銃声。  左右から撃たれた二つの魔力は消失点となる魔物の眉間間近でぶつかり合い、相殺してしまう。  その余波が爆風となって広がり、農作物やエイスのコートを激しくはためかせた。 「てめぇカルディア!人が作った隙を横取りするんじゃねぇよ!」 「ボクが狙われていたから出来た隙だろう!?横取りしたのはお前の方だチビ!」  先程までは適当に流していたカルディアも、流石に頭に来たのかとうとうリャードに怒鳴り返す。 「大体、お前はいつも一人で突っ走って周りを見てなさすぎなんだ!最初のボクの術砲だって、撃つってわかってれば割り込んだりしなかったはずだろう!?」 「あいにく、オレの背中に目ん玉は付いてないんだよ!今回は気配と魔力に気付いたから避けたけど、前もって一言かけてくれりゃ自爆しに行ったりしなかったさ!」  徐々に距離を詰め、最終的には額と額がぶつかる程にまで接近し、犬歯を剥き出しにしていがみ合う。  敵が人間だったら、あまりの仲の悪さに呆けてしまうだろうが、今の相手は空気もろくに読まない魔物だ。  急に攻撃しなくなった二人をまとめて薙ぎ倒す為、その太く強靭な脚で畑の柔らかな土を蹴散らしていく。  こちらに接近してくる足音で沸点が下がり、多少冷静になった頃には既に、魔物の絶好な間合いの中に入ってしまっていた。巨躯に合わぬ猛スピードと、互いに向き合う体勢のせいでリャードとカルディアの構えが遅れる。 「やべっ」  顔をひきつらせたリャードの横を、銀色の細長い影が横切る。  それが小型のナイフだと気付いたのは、切っ先が魔物の眉間に突き刺さった後だった。  更に追い討ちをかけるように、エイスが走ってきた勢いで跳躍し、そのまま靴底をナイフの柄に押し当てて跳び蹴りの要領で思い切り刃先を柄の部分まで叩き込む。 ―――ブモォォォオオォッ  今度こそ本格的な断末魔の悲鳴を上げ、魔物は体を持ちあげてのたうち回った後、大地を震わす衝撃と共に地面に横転し、絶命した。  呆気に取られている二人の頭に、エイスはゲンコツを一発ずつ落とす。小さく悲鳴を上げる二人が反撃してくる前に、少しだけ怒気を含んだ声で一喝する。 「喧嘩するのは勝手だけど、これは立派な“仕事”なんだ。この村に住む人達は、俺達を信用して依頼をしてくれたのに……それを下らない私情に利用して、挙げ句に醜態を晒すなんて、言語道断だ。この勝負は俺の所長としての権限をもってして無効とする……キミ達はもう少し、プロ意識を持って取り組んだ方がいい」  話は以上ときびすを返し、自宅からわらわらと出てきた村人達に結果報告をしに向かうエイスの背を、二人はバツが悪そうな表情で見送る。 「……アイツ、滅多に手は上げないのに……」 「それだけ目に余ったんだろう。どこかの戦闘バカなチビが勝負なんか仕掛けてくるから……」 「その勝負に乗ったのはどこの誰だよ男女。何でもかんでもオレのせいにしてんじゃねぇよ。年上のクセに」  ギロリと、元々切れ長なカルディアがリャードを睨む。  負けじと、リャードの凛と細められた目が睨み返す。  再びバチバチと飛び散る視線の火花。それを嫌という程背後に感じつつ、感謝の言葉を述べる村長には気付かれないようにエイスは虚空を仰ぐ。 (何であの二人は学んでくれないのかなぁ……)  無意識にエイスが吐き出した盛大な嘆息の意味など知らない村長は、白くて太い眉毛の奥にある小さな瞳をぱちくりと瞬かせながら小首を傾げた。
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