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01.冬の訪れとエクリッター
俺は外で掃き掃除をしていた。イージス図書館に木枯らしが吹き始め、館内を取り囲むように植えてある落葉樹の葉も完全に落ちた。これから本格的に冬が始まるだろう。
このカンタレス共和国の北西に位置するロフオル地方のスクブにあるのが、このイージス図書館だ。このスクブは周囲が山に囲まれている盆地である。そのため夏は暑く冬は寒い。
俺にとっては初めてのスクブでの冬だ。どれだけ雪が降るのか楽しみでもあるが、この地域出身の職員たちにとっては億劫な季節の始まりらしい。雪かたし――雪かきではなく、こちらではそういうらしい――は、とても体力を使うらしく、筋肉痛に悩まされるという。
雪はあまり見なれないので密かに楽しみでもある。慣れていないため不安でもあるが。
俺は落ち葉を裏庭の堆肥枠に移した。腐葉土にするためだ。館長は環境保護に力を入れており、こういったことに目がないのだ。軽く土を混ぜ乾燥している箇所にじょうろで水をやり、端にある掃除用具入れにほうき等をしまった。
そうして館内に戻るとき、正面入り口の辺りに見慣れた銀髪が見えた。しかしその髪の持ち主は彼女だけではなかった。同じ色の髪を持つ幼児たちが五人ほど見える。三歳から七歳ほどの幼児たちがお互いに手をつなぎ、先頭の子が彼女に連れられている。
俺はため息を吐いてその列に追いつくことにした。
「あら、タレス? お掃除終わったの?」
彼女は月の光を集めたかのような銀糸を揺らし振り向いた。その姿は俺の胸をいつも通りにざわめかせる。銀糸に縁どられたその容貌はまるで妖精のように神秘的で、触れたら消えてしまいそうなほど儚く、保護欲がかき立てられる。
しかし彼女はただ美しい女性という訳ではない。彼女は本の虫と呼ばれる、人間ではない生き物だ。
その本の虫の中でも、稀覯本狂と呼ばれる生き物だという。彼女はその名の通り、珍しい知識や、書物や、情報を糧にして生きているのだ。彼女たちが恐ろしいのはそれだけではない。人間の知識まで食べてしまうといった点だ。
しかもその食べ方はとても趣味が悪い。人間と触れ合うことで、栄養――つまり知識を得るのである。触れれば触れるほど吸収がいいらしく、口づけや、性的接触をしてくる。最悪血液や体液をそのまま貪ることもあるという。
俺は彼女と初めて会った時、その被害に遭ってしまい、今もとても苦い思いをしている。
しかし俺が一番趣味が悪いと思うのは、その食べ方だ。彼らは標的と定めた人間の、理想の姿で誘惑してくるのである。とても抗いがたいその誘惑の方法は、ある意味では凄く残酷で卑怯だろう。
この目の前にいる神秘的な女性は、俺の理想そのものの姿をしていながら、俺の身内の姿まで体現しているのだ。
月や星の光を集めたような白銀の髪、漆喰のように白い肌。女性にしては少し高めの背。そして女性らしい曲線を描いている眩しい肢体。
瞳も髪と同じような白銀で、時折感情が高ぶると、星の光がこぼれるかのように湯気のようなものが溢れる。それは得難い自然現象を見ているかのようで、とても神秘的だ。
そして極めつけはその瞳である。その瞳の形は俺の亡くなった姉そのものだ。
この姿を見て、悪趣味だと思わないだなんて本当にどうかしている。彼女は俺の実家の生業――つまり軍人たちが持っている機密情報を欲しがっている。それが手に入らない限り、きっと俺の弱みに付け込まんとするその姿を、止めることはないのだろう。
生きるためとはいえ、人の弱みに付け込みだなんて卑怯でしかない。俺は逃げ出したい気持ちだったが、ここで逃げては負けを認めた気がして、彼女に向き直った。
「あぁ、よく俺だってわかったな」
「だって貴方の匂いがしたから」
俺のことを彼女はまだ匂いで判断しているらしい。思わず顔をしかめたのが分かったようで、顔を曇らせた。俺は瞬時に気まずくなり、話を逸らそうとした。
「りあ? このお兄ちゃんだれ? りあの大好きな人?」
「そうなんでしょー?」
「あなたたち何を言っているの?」
幼児たちはきらきらと目を輝かせそう尋ねてくる。その姿は天真爛漫としかいいようがない。そしてその幼児特有の視点や疑問は、大人に気まずい思いをさせたり、考えあぐねたり、確信を突いたりすることがままあるのだ。
例えば、どうして空は青いのとか、赤ん坊はどこからくるのかとか、そういったことだ。
つまり俺にとってその質問はとても気まずいのである。
しかし彼女には冷やかされたとは分からなかったようで、不思議そうにしゃがみ器用にその子の手をつないだまま、目線を合わせた。
「だって、りあとっても嬉しそうだよ?」
「そうなの?」
彼女は首をかしげる。その姿も様になっていて俺の頭を酔わせた。これは無自覚か? それとも作戦か? この神秘的で妖艶とも見える容貌とは裏腹な愛らしいしぐさに、翻弄されっぱなしだ。しかしこれで話がそれたどころか、一番触れてはいけないところに進んだのは明白だった。話の流れを変えるため咳払いしてこう尋ねた。
「それでその子たちは?」
「あなたに最初に紹介するつもりだったの、でもあなたにこの風は冷えるでしょう? 早く中に入りましょ?」
彼女はにこやかに館内に入るように促した。
○●○●○
「じゃあ君たちも図書館を守ってくれるのかな?」
館長室に入り幼児たちについて彼女がよどみなく伝える。まるで取扱説明書を読み上げるかのようだ。しかし館長はその情感をそぎ落としたかのような物言いには触れず、にこやかにいった。
この子たちは予想通り彼女の同類だったようだ。彼女たちは活字中毒者というそうで、まだ成長しきっていない本の虫達らしい。しかし知識の吸収率がすこぶるいいそうで、何かを記録するにはうってつけの年頃らしい。
この活字中毒者たちは、損傷が激しい書籍を読み取って保存することに協力してくれるという。俺は勘違いしていたのだが、本の虫達は知識を完全に食べることもあるが、基本的には読み取ることが人間の食物摂取と同等のようだ。
とはいっても俺もまだその存在に慣れていないのだが。
「この子たちは図書館も人も知らないのです。ですから色々教えてくださると助かります」
活字中毒者も案の定何も言わない。というより図書館の内部に興味津々だ。まるで初めての外出のように目を輝かせている。彼女が頑なに手をつないでいるが、一番端の活字中毒者がそろそろ拙い。このままだと図書館に文字通りかじりつきそうだ。
「ではそろそろ館内を案内しようか」
館長はまるで孫に声を掛けるように殊更穏やかにいうと、活字中毒者達はその外見相応の幼さでとびはねたり、つないでいる手をぶんぶん振ったりと、興奮を爆発させ始めた。
「うわーい」
「ほんと? ほんと?」
「わたしえのご本がいいー」
「ねーねーお腹すいた!」
「りあもいっしょ! いっしょ!」
まるで幼稚園のような状況に俺が困惑していると、彼女は聞こえないほど小さい声音でぴしゃりといった。
「静かになさい?」
その家庭教師のような彼女の声で、活字中毒者達は瞬時に静まった。すごい規律である。活字中毒者達にとって、彼女が絶対だとよく分かった瞬間だった。
一旦外に出たほうがが分かり易いだろうとのことで、先程と同じように正面の入口に来た。館内前は図書館自体の基礎が高いのか緩やかな階段になっており、両側には――利用者のことを考えているのだろう――手すりがついている。
活字中毒者達はその手すりが気に入ったようで、手すりを掴んでぐるぐるとまわっていたり、手のひらでこんこんと叩いていたりと様々だ。
「ここから利用者の皆さんが入ってくるんだよ。ここは閉架図書館だから滅多に来ないけどね」
三歳から七歳程度の容姿をしている活字中毒者達は、その姿と同様に落ち着きはないが、館長の説明はしっかりと聞いているらしい。館長の話にはどんなことにでも相槌を打っている。
そのまま正面の円柱ホールに入る。この円柱ホールは三階建てであり、壁に沿うように書庫が設置されている。三階建てのため歩道橋のような形の移動型の階段が、書庫に設置されてあり、それを移動させることで高い所にある本も探すことのできる仕組みになっている。 活字中毒者達はその本のすごさに息を飲んで目を輝かせている。銀色の目が揺蕩うのは彼女と一緒だった。そしてその円柱ホールの真ん中には、閲覧のための机と椅子が設置されている。机が四つほどあり、そこに椅子が数個ある。
今は閲覧ではなく、修繕の本の作業台代わりに使われている。館長は孫のように活字中毒者達を見つめ、この場に圧倒されているのを見るとこう彼らに問いかけた。
「この階段を上がって好きな本を読んでもいいよ、探してみるかい?」
活字中毒者達はその言葉にみな例外なく、ぽかんと口を開けた。そして固まったかと思うとそわそわとお互いの顔を見始める。そして一人がなんとか声を絞り出した。
「りあ、りあ、いいの?」
活字中毒者がそう呼びかけると、彼女はふと笑い真面目な顔つきでこう告げた。
「一冊だけ、そして“読む”だけよ」
「うん! わかった。もぐもぐしないから!」
「ありがとうって言ったの?」彼女は静かに活字中毒者達にそう問いかける。
「かんちょうさん、ありがとー」活字中毒者達は丁寧に御礼をすると、階段に飛びつくようによじ登っていった。
「……ありがとうございます。許可してくださって」彼女がそう静かに真摯にそういうと、館長は彼女にも孫を見るような目を向けた。
「このくらいは想像していたからね」
「危ないと思うので少し見てきます」
彼女は白銀の髪を翻し、活字中毒者達の様子を監視に向かっていった。その姿はまるで姉のようだ。数十分後戻ってきた五人の活字中毒者達には、ヒマワリのような笑顔が浮かんでいた。
この調子で館内を見回ると、一旦外に出ることになった。外からどの場所はどこなのかを確認するためだ。
図書館の土地は芝生になっており、天気がいいとピクニックが出来そうなほどだ。少し小高い丘のようなこの場所は風が心地よく、芝生の青い匂いを運んでくる。
思わず俺はこの館内では味わえない空気を吸い込んだ。活字中毒者達は俺にとっては周知の事実である興味深いものを見つけ感心している。
「すごーい」
「えんとつ! えんとつがあるよ」
「ちゃいろでおいしそう!」
エクリッターが煙突といっているのは、円型のホールのことだ。このイージス図書館は興味深い形をしている。外から見ると正方形の建物の中に、円柱型のホールが埋まっているような形をしているのだ。きっと背が低い彼らは、小高い丘の上に来てやっと気づけたのだろう。
「あの煙突の部分から本を取ったのよ、本の棚がある部分はカーブがかかっていたでしょう?」
「うん! まがってた!」
「じゃああそこにご本がいっぱいあるの?」
「そうよ、……沢山の知識が詰まっているの」俺は彼女の視線がどこかここにはない物を見ている気がいた。
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