05.メアリー号での会話

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05.メアリー号での会話

 大型豪華客船メアリー号は、蒸気タービンを動力源にしている最新式の船である。石炭ではなく、重油で動くという客船は、とても近代的なつくりで乗っているだけで高揚してくる。とはいっても、軍では新しい動力――ディーゼル機関で動かせる船を開発しているらしい。  こんな船に図書館の資金で乗っていることに、居心地の悪さを感じている。というのもこの業務にやる気なんてほぼないからだ。彼女と同じことに取り組むというだけで、嫌気がさす。  いま俺は館長と分館長の激励を受け、ウィガール図書館のあるシュスパに向かっている。ロフオルからシュスパに向かうには陸路では遠回りになる。そのため館長はわざわざフェリーのチケットを用意してくれたのだった。  分館に活字中毒者(エクリッター)達を置いていき、彼女の“食事”を済ませた後、フェリー乗り場まで向かったのである。今日はここで一泊することにある。このフェリーは寝台客船のため、泊まるにはうってつけだ。それに個室のため一息つけることがありがたかった。  しかしそんな俺とは違って、彼女はどこかそわそわしている。緊張しているようだ。彼女越しに人ごみが見える。  いつもよりその真珠色の瞳がくすんで見え、漆喰の肌は青白く見える。いつも以上に幸薄そうだ。意外な姿に俺は動揺する。普段から理想通りの姿にめまいがするが、この客船に乗ってからの彼女は、いつも以上に守りたいという思いと、自分のものにしたいという欲にそそられる。  どこまでも彼女は俺を翻弄しなければ気が済まないらしい。俺はため息を吐き無言で彼女の手を引きデッキまで連れて行くが、そのまま無言で連れられている。それでなんとか庇護欲と所有欲が幾分満たされる気がした。  デッキの風は人ごみの不快感を洗い流してくれる。二人きりになり彼女の顔色も幾分落ち着いて見えるのは願望だろうか? 彼女の銀糸を風が翻す。それが夜空に溶け星の光を受け止めているようだ。銀色の彼女はこの夜空ではとても映え、神秘さと妖艶さが際立っている。 「ありがとう、人に酔っていたから助かったわ」  何となくした行いは間違いじゃなかったらしい。彼女はシンプルな白のブラウスと紺のロングスカートの上にコートを羽織っており、防寒のためのマフラーもしている。そしてその銀糸を目立たないように一つまとめ、つばが広い帽子を被っている。しかしその容貌が目立たないわけではなかった。  その隙のない姿は一昔前の家庭教師に見える。しかしその出で立ちと容姿は見事に融和していた。彼女を隠すことは難しいと、この一時間で実感した。美人はどんな格好でも似合う。俺はふとある疑問がわき、問いかけることにした。 「ここの人間たちはどんな匂いがするんだ?」彼女は俺の発言に目を瞬いた。何を言われたのか分かっていないようだ。 「貴方、いまわたしに尋ねたの? そうなのね?」 「そんなに意外か?」その不可解な反応に、疑問を投げかけることしか出来なかった。 「分かったわ、貴方がわたしと話をしたいのなら個室に戻りましょう」 「あ、あぁ……」  俺は儚げな様子をかなぐり捨てたような勢いに押され、ついていくしかなかった。  個室はしっかりとした作りで、まるで本当の部屋のようだ。木製のドアを閉めると、船の中とは思えない。彼女はものの数分しかいなかったはずの部屋を、使い慣れた自室のように扱っている。コートを脱ぎマフラーを取ると備え付けの卓上式魔法瓶を用い、お茶を出してくれた。  しかし俺はそのお茶に手を付けることなく、テーブルを挟んだ目の前の彼女に向き直ると、相手はこちらの言動を真っ直ぐに見つめていた。 「話したいんだけどいいか?」  彼女は穏やかに俺に微笑みかけてきた。 「人間の匂いってどう感じるんだ?」 「あの中では人間の雑多な知識の匂いが充満してて、ただ疲れるだけね。貴方だって汚い部屋の中は嫌いでしょう?」 「あの人ごみは、君にとっては汚い部屋の中にいる状態だったって言いたいのか?」  唐突なたとえに俺は面食らってしまった。 「机の周りに資料をうず高くおいて、その置いた人にしか書類の置き場が分からないことがあるでしょう? それを目に入れることが避けられないような気分よ」  分かったような、分からないような言い回しだが、それを口に出すことはなかった。 「別に最初はいいの、でもそれを見ていると何となく整理したくなってしまうというか、その人の物なのに『分類』したくなってしまうの」 「それは人の頭の中をってことか?」  彼女がにんまりと笑った。それで漸く合点がいった気がした。きっと彼女は知識が整理されていないのが許せないのだろう。  きっと図書館利用者が、書籍に記されている分類番号とは、違う書架に本を入れてしまったかのように。あれをされると結構元の場所に戻るのが面倒なのだ。一冊だけならいいが、それが結構行われてしまう。イージスの分館にいたころには結構悩まされた問題だった。 「あの中にいると、わたしがわたしでなくなってしまいそうで本当に困るの、でも早くなれないとダメね」  何でもないことのようにいうが、俺は責任が増した気がした。彼女をとめられるのは俺しか今はいないのだ。それを痛感してしまった。最悪彼女が欲しがっている軍事機密の情報を渡すしかないのだろう。それだけは避けなければならないというのに。 「でも意外だったわ、貴方がわたしに質問するだなんて」 「どういう意味だ?」 「だって貴方、わたしのこと嫌いでしょう?」  息が詰まった。しいていうなら苦手というより脅威に感じている。色んな意味で。しかし彼女たちは人の気持ちが分からないものだと思っていた。知識を糧にするという話だし、時折とても人間ではありえないような無機質さを見せる。彼女たちと比べたら、まるで機械音ですら人間味を感じてしまうほどに。  その姿を見るたびに俺は思う。やはり“違う”のだと。 「別にそれでいいのよ? だって貴方にとってはお仕事なんですものね?」その言葉に俺は情感を覚え困惑した。目の前の彼女が普通の女性に見えた。 「でもこうも聞いたわ、このお仕事には協力関係が大切だって、だから考えたの」 「何をだ?」 「貴方が楽しくお仕事できることを」彼女は初めて会った時のような艶やかさで言った。
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