06.『フィーア』の誘惑※※

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06.『フィーア』の誘惑※※

 彼女は席を立つと隣に来て手に触れてきた。俺はその肌の艶やかさに戸惑うしかない。 「なんのつもりだ?」 「貴方はわたしの中身が嫌いなのよね? だってこの姿は好きなはずだし」  さすがにこの言葉に頷くことは出来なかった。これから仕事をする相手を脅威に思っていると、相手に悟られていたとしても自分から言うほど馬鹿じゃない。 「わたしね、中身は仕方ないにしても、わたしの外見を楽しんで見らえればいいんじゃないかって思ったの」 「なに?」 「わたしの体をあげるわ」  彼女はブラウスのボタンをはずし始めた。それはまるで劇のように現実味がない。その光景を黙ってみていることしか出来ない。衣擦れの音だけがこの場を支配する。生成りと紺が彼女からはぎとられ、漆喰のような肌があらわになる。我に返ると目の前には、下着だけしか身に着けていない彼女がいた。  黒色の下着は白銀の目や髪、そして漆喰のように白く瑞々しい肌にも映えているのが分かった。分かってしまったのだ。  女性らしい曲線を描く肢体は凶器そのものだった。鎖骨の下から盛り上がっている胸は海より深そうだ。だというのに背中には肉がついておらず、つくべき部分にしか肉はついていない。尻は綺麗な丸みを帯び腹部にも程よく肉があった。太腿から足首にかけてのラインも健康的でありながら足首はすぐに折れそうなほど細い。  どんな武器でも敵わない。俺は他のことなんてどうでもいいくらいに、目の前の女を自分だけのものにしたい衝動に駆られていた。 「どう? 貴方のお気に召すと思うのだけれど? それとも残念だったかしら?」  小首を傾げ尋ねてくる姿は、暴力的なまでに妖艶な姿とは打って変わって幼い。これで陥落しない男はいないだろう。いつの間にかカラーコンタクトを外している銀色の目は、湯気のように揺蕩っている。その目に不安を読み取った俺は困惑する。そしてどうみても人間ではない彼女の瞳に、幾分冷静さを取り戻した。 「君の目的はなんだ?」 「貴方に楽しんでほしかったの、貴方は私のことを嫌っているけれども、この姿は好きでしょう?」  彼女が不安で身を縮める。その度に胸が揺れたりや谷間が強調されたりする。それが心から憎たらしかった。俺は彼女をものにしてその豊かな体を慰めたい衝動を抑え込むのに必死だった。彼女は俺の下でどんな風に鳴いてくれるのだろうか?    分かってはいたが、彼女は俺を破滅させる悪魔だ。淫魔といってもいい。  冷静になるには早く服を着させたかったが、衣服を着せるにしても誘惑されることには間違いなかった。俺は普段気に留めない神の聖句を胸中で唱え、彼女の術中に嵌らないよう動くことしか出来なかった。 「この体もだめなのかしら?」  彼女は俺の顔を覗き込みながら、うるんだ目で見つめてくる。妖艶さと愛らしさで交互に殴っているのは作戦なのか無意識なのか? 判断がつかなかった。  しかしこのままでは理性も限界に近い。俺は破れかぶれで彼女に触れるしかなかった。本当はその口を塞いでしまいたかったが、知識を奪われてしまうかもしれない。俺は彼女の腕の中に閉じ込めた。  すると彼女の震えが止まり吐息が顔をかすめる。その吐息の温かさに驚いていると、彼女の腕が恐る恐る俺の背中へ回った。触れるか触れないかのその動きに、俺の胸も下半身も反応しっぱなしだった。 「わたしが貴方にあげられるものはこれしかないの、だから貴方の好きにしていいのよ?」 「だから俺を誘惑したのか?」 「誘惑? あなたこの姿に誘惑されていたの?」ぽかんとした表情で彼女はこちらを見ている。その行動に驚きっぱなしなのはこちらなのだが。 「まさか貴方がそんな風に思ってくれるだなんて思っていなかったから、少しうれしいわ」  太陽もかくやという表情で微笑まれて俺は混乱する。この表情が一番の彼女の魅力ではないだろうか? 「君は仕事のためなら、誰にでもこんなことをするのか?」 「貴方が相手じゃないとしないわよ?」  当然のことを聞かれたように困惑する。しかしその“当然”は分からない。俺と一緒に仕事をする仲だからそうするのか、ただ頭の中が欲しいのか。はたまた想像もつかない理由なのか。  彼女の意図が全く分からない。 「どうすれば貴方は満足してくれるの?」 「満足させて何がしたいんだ?」 「貴方がわたしをここにいることを受け入れてほしいの、それともしっかり契約したほうが満足する?」 「契約?」  俺はその言葉が気になった。この協力関係とはまた別のニュアンスを感じたからだ。 「わたしに名前を付けてくれれば、貴方の言うことをきくことになるわ。でもあるものを貰うけれど」 「知識をか?」 「えぇ、でも貴方が指定したものをくれればいいわ、頭の中にわたしに見せてもいいことを思い浮かべてくれればいいの」  嘘をついているようには見えなかった。  そういえばこの目は俺の肉親の目に似ている。  色味のせいで時折忘れるが、死んだ姉の目に似ているのだ。  そのせいで彼女の行動を非難できないのかもしれなかった。  本当になんてずるい生き物なのだろう。  「フィーア」  ふと思い浮かんだ単語を言っていた。  彼女は妖しく微笑んで、俺の唇に吸い付いてきた。  でも吸い付いてきたのはそこだけじゃない。  彼女の全身――甘い肌の匂いや体温や髪も絡みついていた。  少し俺と距離が出来る。  彼女――フィーアは俺自身の色に染まっていた。  いつの間にか彼女の銀糸は俺の黒を纏っていたのだ。  俺の黒とは全く同じ色だ。  だというのに受ける印象が違う。  彼女自身の魅力やエネルギーを感じ、俺はただただ圧倒されるしかなかった。  「……どうして?」俺はそういうことしか出来なかった。  「貴方の色よ、わたし貴方に染まったの」    先程の銀の輝きはそのままに、黒曜石のような艶を纏った彼女は、まるで自分のものになったようで、とても支配欲が満たされる思いがした。  俺はこの暴力を受け入れるしか選択肢はなかった。
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