07.ウィガール図書館と標的の匂い

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07.ウィガール図書館と標的の匂い

 彼女の暴力的な誘惑を受け、俺は疲れ果てていた。といっても肉体的にはすこぶる健康的で自嘲が漏れる。昨夜の誘惑で彼女が本当に普通じゃないのだと確定した。  彼女に流されてしまい、図書館司書ではなく俺自身として契約を交わしてしまったが、逆にこれを活かすしかない。彼女に知識を定期的に与えなければならないが、エメラルドタブレットを見つけるまでの辛抱だろう。それまで俺が彼女の主食なのだ。  彼女の感覚が残る体に呆れながら、俺は自室に戻り部屋のシャワーを浴びるために部屋を出た。 ○●○●○  メアリー号が無事に港に着いた。ロフオルとは違ってシュスパはまだ秋のようだ。雪の気配は全くなく、遠くに見える山はまだ橙色が見える。  俺はこれからが本番だと気を引き締め、共に降りた彼女――フィーアを盗み見る。彼女はいつにもましてどこか陰があるような印象を受けた。しかし顔周りを隠していない彼女は開放的で人の目を引いている。俺は折りたためる地図を確認すると、彼女は覗きこんでくる。 「次の図書館までどのくらいかしら?」 「あと一山超えてからだろうな」俺は地図を確認しながらそういった。 「そう……あちらに着く前にご飯頂戴?」 「……君が食べたいものなんて、ないに決まっているだろう?」  俺は昨日のことを忘れたかのように歩き始めた。  フィーアは昨日や先ほどの陰のある様子とは打って変わって、時折俺の機嫌をうかがうように触れてくるようになった。それが俺には誘惑にしか思えない。  契約した証である名前を呼んで釘を指すが、それに効果があるかについては、はなはだ疑問だった。名前を呼んだ時の大輪の花が咲いたような笑顔は俺の胸を苛む。  フィーアがどんなに愛らしくても、それがとても機械的で計算づくに思える。俺にとっては彼女が未知の存在であり、理解不能の現象でしかなかった。  ウィガール図書館は異国情緒が溢れている場所だった。山があるとは言っても低めで海の近くだからだろうか? レンガ造りで潮風に強い作りにしていると、俺でも分かる堅強なつくりだ。フィーアは先程から目をキラキラさせている。カラーコンタクトをしているというのに湯気のような目が、ゆらいでいるのが俺には分かった。  俺とフィーアは館内に入る。俺はカウンターの司書の方に館長を読んでほしいとお願いした。フィーアはもう本を読みたくて仕方がないようだ。今にも本に飛びつきたそうにしている。俺はそんな美女の行いを凍てついた目で見ていた。  今日来ることは伝えていたからだろう、数分でウィガール館長らしき人物が奥から出てきたのが見えた。  彼はイージスの館長と同じ年のころのようだが、どちらかというと体育会系という印象を受ける。暖かいシュスパといっても、今は秋から冬になる季節のため厚手の服を着ている。だというのに鍛えていることがよく分かる体躯だった。 「君たちがイージス図書館の司書かな?」 「気づかずすいません。俺はタレス=フラッツォーニと申します。彼女は……」  「フィーアといいます」彼女の声は感情が全く籠っていなかった。  俺とフィーアは館長室に通された。  館長室の作り自体は、イージスの本館と分館のトップの部屋と何ら変わりなかった。しかし内装もイージスと比べると、金属質の壁が時折見え、堅強な様子だ。どちらかといえば図書館というより、研究所のような無機質さが時折覗かせる。そんな雰囲気の館内である。  ウィガールの図書館長のゲレオン=プライスラーは、俺がイージスの館長から渡された紹介状に目を通している。こちらからちらっと、ハルトヴィヒ=バックハウスという署名が見えた。  「事前に電話できいていた通りのようだ。確かに修復に関しては強くない。それに協力してくれるのは助かる」  ウィガールの館長――ミスタープライスラーは力強い笑顔で俺に握手を求めてきた。俺が腕を差し出すとちぎれんばかりに振られ、フィーアも同じ被害に遭っていた。  「じゃあ、館内を案内しようじゃないか!」  「お願いします」  彼女が駆け出したい衝動を必死で抑えているのが俺にも強く伝わってきた。  ウィガール図書館はこの地域の人々に愛されている図書館のようだ。というのもブラウジングスペース、つまり閲覧室が大きく広く取られている。新着雑誌や新聞などの逐次刊行物の周りには地域の方がたくさんおり、新しい情報に目がないのがよく分かった。  閉架されている部分はとても少ないようだ。この地域特有の希少な物や、ウィガール図書館の貴重な記録物が保管されているだけだった。これなら修復に力を入れていないことにも頷ける。きっと地域の方へのサービス提供に力を入れているのだろう。  俺とミスタープライスラーとフィーアは図書館を巡った。彼女はそれでようやく落ち着いたようだ。しかしどこかいぶかしげな表情をしている。  いまは館長室に戻り、細部の打ち合わせである。彼女の素性についてはイージスのバックハウス館長から話は通してあったようだが、あまり信じられないようだ。  確かに今の彼女は、色素が薄いだけのただの人間に見えるのかもしれなかった。俺には出会いや昨夜の出来事が頭をよぎって全くそうは思えないが。 「君の能力や素性に関してはこちらで公表する気はないぞ、君たちは修復に特化しているイージスの図書館員として扱うつもりだ、君たちにはその技能を発揮してもらいたい!」 「それで構いません」  俺の声に彼女も頷いたのが視界の端で分かった。 「じゃあ早速お願いしよう。といっても修復したほうがいい本を探すのも出来ていないからね、閉架書庫で身繕ってほしい。こちらの司書を二人付けよう」 「分かりました」 「今日は一日目だし疲れただろう、事務室に案内しよう。少しの間だが休みたまえ、君たちのデスクもあるぞ!」  俺たちは館長室に近くにある職員事務室に案内された。笑顔で館長は扉を閉める。今は開館中で利用者が多いためと違う場所で打ち合わせをしているらしく、事務室には誰もいなかった。俺は彼女に気を留めないよう、息を吐く。 「エメラルドタブレットの匂いがするわ」 「は?」  俺はわずかな彼女の言葉に取り繕うことなく訊き返す。 「でも何かに妨害されているわ、確実な場所は分からない」  簡単に見つけることは出来ないわ。彼女の冷静無比な声音に、俺は思わず睨み返した。
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