雨粒を蹴散らして(試し読み)

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 スマホの画面に映し出されていたのは、無数の丸い水滴。丁度、勢いよく海に飛び込んだ際に見える、泡のような。それが、上から落ちてきたでも、涌き上がってきたでもなく、ただじっと鮮明に静止している。カメラのことは詳しくない。だけど、知識のない僕にだって、こんな写真、もっと高性能なカメラでなきゃ撮れないことくらい分かる。たかがスマホのカメラアプリで世界の時が止められようなんて、誰が思うだろうか。―そう、これはトリックだ。事前に用意していた写真を、隙をついて僕のスマホに送ったに違いない。(その方法についてはこの時は考えが及ばなかった。)だって、今この瞬間、僕の目の前で降り続けているものの正体がこんな綺麗じゃ、かなわない―。  僕は女のインチキを暴こうと口を開きかけた……が、女の指がそれを制止した。ふわっと甘く湿った匂いが漂ってくる。  「キミは……そう、失恋したのね。そうではない未来もあったみたいだけど……でも、可能性はやっぱり低いわね。」  女は僕のスマホの中の、雨を見ていた。それから、「ああ、こっちは桜が満開」だとか「季節外れの大雪かしら」とか、意味不明な独り言を呟き始めた。いよいよ僕は怖くなってきて、すっかり冷たくなってしまったコーヒーを口に含み、一気に飲み込んだ。体の内側が苦味で溢れる。思わず咽そうになったが、寸前のところで抑え込むことに成功した。時計の針が午後二時半を回る。マスターが店の外のランチメニューの看板を抱えて、カウンターの奥へと消えて行った。  「……すみません、僕、もう……」  スマホをポケットに仕舞うと、僕は伝票を持って立ち上がった。マスターが戻ってきたらすぐに会計をして、真っ直ぐ家へ帰りたいと思った。そうしないと、何かとんでもないトラブルに巻き込まれそうな予感がしたからだ。そして、その予感はやはり、現実のものとなってしまうのだけど―。  「ねぇ、傷心のキミ、」  「ちょっと付き合ってくれない?」  女は表情一つ変えずに、そう言った。
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