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プロローグ
時代はセピア色した昭和四十年代初頭。
これは九歳のまだあどけなかった少年の僕と小さな村に一陣の風のように現れて、ほろ苦い思い出を残して去って行った、放浪の人とのある秋の短い物語。
── ──
乳白色の硝子のシェードを被った六十ワットの電球の下、ささやかなおもてなしの後に、大学さんは黒い大きな鞄から竹細工の道具箱を取り出しました。それは書き物の道具箱で中に入っていたのは、使い込んで中央に窪みが現れた硯と、根元までほぐれた筆。それとちびた墨──。
卓袱台を囲んでいるのは、僕と父と母と大学さんの四人です。
大学さんは母が卓袱台の上の茶碗や皿を片付けると、恐縮しながら母に少し水をもらって墨をキュッキュッと磨り始めました。やがてとろりと光沢を帯びて墨が磨り上がると、ひたひたたっぷりと筆に含ませ、下に黒い毛氈を敷いた白い半紙にサラサラと達磨の絵を描いたのです。
──と、
「今夜はお招き頂き、本当に有難うございました。お食事とても美味しゅうございました。このような物でしか御礼の気持ちを表せませんが、お受け取り下さいませ」
大学さんは子供の僕でさえ可笑しいくらいに丁寧で堅苦しいお礼の言葉を述べると、まだ墨の香りの匂い立つ達磨の絵を、目の前で煙草をくゆらせている父と慣れない客に終始緊張した面持ちの母の方に、すすっと滑らせて頭を下げました。
大学さんが描いた達磨の絵は今でも僕の記憶の中にしっかりと、寸分違わない形のまま残っています。迷うことなく一気に筆を走らせた丸っこいフォルムが、ユーモラスな雰囲気を醸し出しながらも、達磨の飛び出さんばかりに描かれた大きな目玉は、今にも物申さんばかりにぎょろりと空を睨んでいました。
後に村に起こる、空前絶後の残忍で痛ましい事件の後、僕の大切なあの達磨の絵は一体どこに消えたのでしょうか。
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