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 物語の中で三日に及ぶ壮絶な闘いの末に老人が仕留めた五メートルを超すカジキマグロは、浜に辿り着く頃には鮫に食われてすっかり骨ばかりになっていました。  老人はとても気の毒でした。  しかし老人は、せっかく仕留めた獲物を鮫に横取りされたという落胆よりも、自分が仕留めたばかりに無残な姿にさせてしまった誇り高き命に対して、どこか矛盾した虚しさを感じたのではなかったのかなぁ──と。  大人になった今の僕が、あの頃の僕の正しい代弁者になっているのかどうかは分かりません。何しろ今でも僕は巨大なカジキマグロと、誰しもが抗えない老いと、この二つと勇敢に戦った老人の物語を何度となく繰り返し読んでいるので、どれがどの時点の感想なのかだいぶ分からなくなっているのです。  大学さんの朗読が終わる頃には、外はもう夕方の匂いがしていました。 「暗くなるからもうお帰り」  僕たちは大学さんに促されて、重い腰を上げてしぶしぶ家に帰ったのでした。 名残り惜しくて畦道の真ん中辺りで後ろを振り返ると、大学さんは両手をズボンのポケットに突っ込んで、僕たちを見送ってくれていました。  赤い夕日を背負った大学さんの黒い影が、僕らの方に畦道を長く長く伸びています。 『巨人だ…』  その日から大学さんは、僕の憧れの賢者になりました。
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