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夏になると龍彦兄さんがまたあの人を連れてきた。
西洋の磁器人形のように美しい男性ーー村本貴男さん。
「こんにちは藤花ちゃん。また会えて嬉しいよ」
「こんにちは貴男さん。暑い中お疲れではありませんか?」
「ありがとう大丈夫だよ。藤花ちゃんの可愛い顔を見たら疲れも暑さも吹き飛んだみたいだ」
甘い言葉に顔が熱くなるが龍彦兄さんの言葉で一気に霧散する。
「いやいや色気のない赤い顔なんて見ても茹で蛸にしか見えないだろ? ああ、藤花の顔なんて見てたら余計暑くなる。ああ、あっついなー」
兄さんが手を振って扇のように顔をあおぐ。その額から汗の玉が流れた。
「おい龍彦。いくら妹だと言ってもそれは酷い言い様ではないか」
「いいんだ、いいんだ。藤花を苛めていいのは俺だけだから。鈴ー、水をくれるかー?」
台所に向かう兄さんの背中にため息を吐くと、横で貴男さんが苦笑する。
「龍彦あんな風に言ってるけど、本当は藤花ちゃんのこととても大切に思ってるんだよ」
「え?」
「いつも私たちの前では妹が一番可愛いって言ってるからね」
「そうなんですか?」
「うん。龍彦は妹想いで友人想いで、本当にいい奴だよ。さ、私たちも中に行こうか。いつまでも玄関で話していてもね」
「あっ、すみません。わたしがご案内するべきですのに……」
「私は藤花ちゃんとお話が出来るならずっと玄関でも構わないけどね?」
「まあ! 貴男さんったら……。龍彦兄さんはどこかしら?」
本当に茹で蛸になってしまったかもしれない。甘い言葉に慣れていない私には、それくらい貴男さんの言葉が糖蜜のように甘かった。
汗をたくさんかいている龍彦兄さんたちのために鈴が早々にお風呂を沸かしていた。まだ日の高いうちから火の側にいる鈴も汗だくだ。
「鈴、大丈夫?」
「ああお嬢様。どうかされましたか? 何かご入用です?」
「わたしは大丈夫よ。何か手伝えることはある?」
「そんなそんな、お嬢様のお手を煩わせることは――。あ、あの、一つだけよろしいですか?」
「いいわよ。なあに?」
鈴は額の汗を手ぬぐいで拭くと私の方に身体を向けた。
「では、お坊っちゃまと貴男様にお風呂が沸いたとお伝えください。わたしはその間に湯上げの支度をして参ります」
「分かったわ! 伝えてくるわね」
向きを変える私の後ろで鈴は「お願いします」と言っていた。その声を聞きながら龍彦兄さんの部屋に向かう。
「龍彦兄さん、失礼します」
部屋は開け放たれている。中にいる二人は談笑を止めて私へと目を向けた。
「どうした藤花? 寂しかったのか?」
「違います! お風呂! 鈴が沸いたって言ってるんです」
「そうか。じゃあ藤花も一緒に入るか!」
「なっ、入りません!!」
「どうして? 一緒に入っていたじゃないか?」
「それは昔の話しです」
「そうか? 五年くらい前だろう?」
確かに九歳頃までは時々一緒に入っていた事もある……。だが十一歳から人生をやり直した私にとってそれは人生をやり直す前の随分昔の話しなのだ。
兄さんにとっては五年前でも、私にとっては十一年前。いや、問題はそこじゃない。実年齢十四歳の乙女と十九歳の兄が一緒にお風呂に入るというのはどうなのだろう?
「龍彦、藤花ちゃんが大いに困っているじゃないか」
「ははははは〜。冗談だ冗談! 今の藤花じゃ一緒に入るのは無理だな。風呂が狭くなる。
貴男、先に入って来いよ?」
「先でいいのか?」
「ああ。俺は風呂よりひと眠りしたい」
そう言って兄さんは寝台に寝転がる。
「それなら遠慮なく先にいただいてくるよ」
「藤花。案内してやれ」
「はい。では貴男さんこちらにどうぞ」
先導する私の後ろを貴男さんが歩く。
「こちらです」
「ありがとう藤花ちゃん。藤花ちゃんも暑そうだね? どうだい、私と一緒に入るかい?」
「貴男さんまでわたしを揶揄って!」
「ははは。ごめんね、藤花ちゃんがあまりに可愛いくて。だから半分は冗談だけど、半分は本気。……じゃあお湯をいただいて来るね」
貴男さんの言葉が甘い毒のように私の胸を締め付けていく。嫌ではないけど恥ずかしい。だけど貴男さんとお話が出来ると身体が弾むような嬉しさを感じ、また初めて感じる想いをどう扱えば良いか分からず私は戸惑っていた。
湯上りの貴男さんが縁側で涼んでいると聞いて冷たいお茶を運ぶ。
「貴男さん、お茶をお持ちしました」
「ありがとう藤花ちゃん」
「龍彦兄さんはまだ寝てます?」
膝を折って持っていたお盆を貴男さんの横に置く。
貴男さんはお盆に乗るグラスを取ると半分ほど一気に喉に流す。
「ああ、美味しい。龍彦なら風呂に行ったよ。一緒に入るのかい?」
「入りません。もうこの話はよしてください」
「ごめんよ。そうだね、藤花ちゃんが龍彦の所に行ってしまったら寂しくなってしまうな。だからここにいて私の話し相手になってくれたら嬉しいな」
貴男さんの色素の薄い瞳が真っ直ぐに私を見ている。
「わたしで良ければ……」
「うん、藤花ちゃんがいいんだよ」
微笑む貴男さんがあまりに眩しく直視出来なくて視線をそらし庭園に向ける。夏前に終わったサツキの木は庭師が剪定したお蔭で中の枝が見えていた。小さな池では鯉がぽちゃんと水音を立てて気持ちよく泳いでいる。
「藤花ちゃんて少し大人びてないかい? 周りのお友達より落ち着いてるって言われたりしない?」
「大人びてますか?」
首をかしげる私に貴男さんは首肯する。
考えてみれば私の中身は前の人生を引き継いでいるので実年齢より六つも年上なのだ。
「貴男さんはおいくつですか?」
「私は龍彦より一つ上で、二十歳だよ。藤花ちゃんとは六つ離れていることになるのかな?」
「はい。わたしは十四ですので六つ離れておりますね」
そう答えるが私の中身と同じ年齢だということが分かり内心嬉しくなる。
中身は貴男さんと同じ二十歳です――などとは言えず微笑む貴男さんに私も微笑み返した。
確かに和馬や夏子ちゃんたちはまだ幼い部分もあって、その活発さに時折ついていけない日もあるが、貴男さんは年相応に落ち着いているからか年齢差を感じなかった。いやこれは貴男さんのまとう雰囲気のせいかもしれない。一つしか違わない龍彦兄さんはまったく落ち着いてないからだ。その兄さんが暑いと大声を出しながらこちらに大股で粗雑に歩いてくる。
「暑いぞ藤花~! 団扇を持ってないか?」
「持っておりません」
「仕方ない。取りに行ってくる」
私たちの後ろを暑い暑いと繰り返しながら兄さんが通って行く。その背中が見えなくなって貴男さんが口を開く。
「龍彦が暑いと叫ぶせいで気温が上がった気がするね」
全くその通りです、と答える私と目を見合わせて貴男さんは楽しそうに笑っていた。
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