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暑さが弱まり、すっかり涼しくなる。山の木々が真っ赤に燃え、季節は秋になっていた。
今日は夏子ちゃんのお家にお呼ばれしている。手土産に栗の羊羹を持って行ったら夏子ちゃんのお母様にとても喜ばれた。
「お母さんね、栗羊羹が泣くほど好きなのよ」
「豆大福とどちらにしようか悩んだの。だから喜んでもらえて良かったわ」
「豆大福なら私が泣いて喜んであげるから大丈夫よ!」
「まあ、夏子ちゃんったら」
「さ、部屋に行きましょう!」
夏子ちゃんの後ろをついて行く。途中、若い女性とすれ違いざまに会釈して夏子ちゃんの部屋に入った。
「夏子ちゃん、お姉さんがいたの?」
弟が一人いることは聞いていたが姉がいるのは知らなかった。
「三佳ちゃんのこと? 姉じゃなくて従姉妹なのよ」
「従姉妹?」
「曾祖母ちゃまが離れで療養していて、それのお見舞いに時々来るの」
「曾祖母様、お身体が悪いの?」
「足を骨折してから歩くのが辛いっていって動かないから、歩けなくなっちゃっただけよ。身体のほうは元気だから、藤花ちゃんが持ってきてくれた栗羊羹もぺろりと食べてしまうんじゃないかな?」
「そうなの、ふふふ。それじゃたくさん持ってくれば良かったわね」
「ありがとう。嬉しいけど、そうやって気を遣わないでね藤花ちゃん」
分かったわ、と言うと夏子ちゃんの部屋に先ほどの三佳さんが来る。
「お茶を持ってきたわよ」
「三佳ちゃんありがとう。あ、紹介するね、友達の佐伯藤花ちゃんです」
三佳さんはお茶の乗ったお盆を夏子ちゃんに渡すと私を見る。
「初めまして、三佳です。夏子と仲良くしてくださいね」
「はい、もちろんです」
「それじゃあ藤花ちゃん、ゆっくりしていってね。ってわたしの家ではないのだけど……」
そう言って微笑むと三佳さんは部屋を出ていった。
「可愛らしい方ね」
「三佳ちゃんあれでもう二十歳よ。そして独身」
「ご結婚は?」
「よく分からないけど破談になっちゃったのよね」
「破談に?」
夏子ちゃんもよく知らない話を聞き返してもその答えが返ってくるわけはなく、二人で首を傾げる。
「……三佳ちゃん働いてるんだけどね、……大きなお屋敷らしくてね、なんか色々大変みたい」
「お家が広いから大変ってこと?」
「そういう事なのかな? あまり言いたくないみたいでちゃんと聞いたことないのよね」
「そっかあ。偉い人のお家なのかしら?」
「なんだっけ? オータ?」
「大田?」
この辺りで大田、もしくは太田という豪邸などあっただろうか? そう考えるが分からない。
だけれど破談という言葉に胸がざわついていく。死ぬ前に何度となく和馬の口から発せられた『婚約破棄だ』という言葉がよみがえってくる。どうにも他人事だと思えないのはそのせいなのだろうか。
夏子ちゃんが何か喋っているが、私の頭の中では『婚約破棄だ』という和馬の声が耳鳴りのようにずっと響いていた。
「結婚といえば、藤花ちゃんと和馬くんて本当に婚約してないの?」
「……うん」
「本当に?」
「……うん」
「それじゃあ私……」
「……」
夏子ちゃんの話を聞いていない私はしばらくお茶のカップを指でもてあそびながらあさってのほうを見ていた。
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