ひとりで生きていくには?

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 和馬が家まで送ってくれる。玄関前でお礼を言おうと思っていたのに、何故か和馬は我が家のように中へと上がって行ってしまった。  もしかすると龍彦兄さんとまだ話しが残っていたのかもしれない。そう思うと張り詰めていた力がふっと抜けた。  そのまま誰に帰宅の挨拶をする事なく自室に帰ると大きく息を吐き出す。 「はあああ──」  疲れた。走ったせいかもしれないし、和馬と一緒にいたせいかもしれない。そのまましばし、放心したように虚空を見ていた。  虚空を見たまま、しばらく。幾ほどかの時間が流れた所に鈴が部屋に来た。 「お帰りでしたのですね、お嬢様。旦那様がお呼びでございますよ」 「ありがとう、行くわ」  重たい腰を上げ鈴の後ろを付いて歩く。鈴に分からないよう途中でこっそりため息を吐いた。  足を止めたのは父の部屋の前。膝をついて、すぅと背筋を伸ばすと、内へと声を掛ける。 「お父様、藤花です」  そう言うと中から、入っておいで、と返される。襖を開け部屋に入るとそこにはお父様、お母様、そして和馬がいた。  お父様が、こちらにおいで、と言うので隣に腰を下ろすと、その向かいにいる和馬が緊張したような顔をしているのを見た。 「藤花」 「はい」 「今和馬くんから正式に婚約の申し出を頂いたよ。和馬くんが十七になるまであと二年待たなければいけないがね」 「は?」  私は口をぽかりと開けて父の言葉を反芻し、意味が分からない、と思考を巡らせる。先程の言葉を頭の中で繰り返してみるが、何度父の言葉を辿っても私の頭では和馬が何を考えて好きでもない私に婚姻の約束を申し出るのか理解出来ない。  しかし思い直す。そうではない。和馬は私との婚姻を足掛かりに出世したいのだった、と思い出す。  私の事を好きだとか嫌いだとかという話しではない。これはお父様との結びつきを強くしたいがための申し出。そう思えばこそ、和馬の行動にも頷く事が出来る。 「藤花、何か異論があるのかい? 聞いてあげるから言ってごらん?」  私に甘い顔をする父。そんな私に甘甘な父が恐ろしく豹変するなど誰が思うだろう。  きっと父は一年後、和馬に捨てられた私を見て悲しみに怒りに震える事になるのだ。そして娘は殺されてしまうのです。ああ、なんて可哀想なお父様。  だけれど、次こそそうならないように努めなければならない。ここで私と和馬が婚約する以上、この約束は破談になるのだ。そうなるとお父様が怒りに震える未来はきっと来る。 「お父様、ひとつ聞いて下さい」 「なんだい?」 「あと二年の間にもしも他の方に心移りしてしまったらその時は私も和馬も双方をお許し下さい」 「藤花?」 「どうして!! そんな事を言うんだよっ」  私の提案の言葉に反応した和馬が父の前だという事も忘れて怒鳴る。こんな怒りに満ちた和馬を見るのは初めてだ。けれどもそれは全て、 ──和馬のため、そして私のために仕方ない事なのよ。 「和馬聞いて?  大丈夫よ、『もしも』なのだから」  けれどその『もしも』は必ず訪れる。 「やっぱりあいつなのか!?」 「あいつ?」  和馬の言う『あいつ』が分からない。あいつとは誰の事を指しているのだろう。もしかして剛田由真の事だろうか? だが和馬はまだ出会っていないはずだ。 「糞っ」 「和馬?」  苛立ちを隠さない和馬に、落ち着いて、と声を掛けるが聞こえてはいない。  和馬にとってもこれが良策なのだ。全ては私と和馬のため。お互いがお互いの道に別れるために必要なことだといつかその時に分かってくれるだろう。 「おほん、和馬くん。そんな事はないと儂も思っている。藤花の伴侶は和馬くんしかいないと思っているよ」  お父様にそう言われ、少し落ち着きを取り戻した和馬は、失礼しました、と態度を恥じるように頭を下げ、部屋を出て行った。  それから和馬とは何となくぎくしゃくとしてしまったけど、相変わらず学校が休みの度には律儀に私に会いに来ている。  お互いに学校での事を話して、お茶を飲んでお菓子を食べて終わりだけれど、和馬の行動の端々に優しさを感じとる。  毎回私の好物を持って来てくれるし、暑い日には団扇であおいでくれて、寒い日には肩に掛け物をのせてくれる。少しでも体調の悪い時は「休む?」と気遣ってくれ、その横で和馬は静かに読書をしていた。  こんなにも優しい和馬に私を殺させてしまった。その原因はきっと私の振る舞いにあったのだ。和馬の優しさを当然のものと高慢な態度だった前の自分を恥じる。 『和馬、出掛けるわよ、ついてきて』 『今から?』  それは一度目の人生の記憶。和馬は困ったような辟易した顔だった。 『まだ買うつもり?』 『まだ持てるでしょ? ほら次はあちらよ』  和馬は従者でも荷物持ちでもないのに強要していた。 『今日は活動写真よ』 『また今週も?』  本当は活動写真が好きではなかった和馬には苦行だったのかもしれない。歌舞伎なんて和馬とは一度も行ってないし、和馬が歌舞伎を好きだなんて全く知らなかった。  前の私は思い返すほどに嫌な女だ。だから友達だっていなかった。  学校でも一人だった。 『藤花ちゃんはお嬢様だから庶民とは違うわよね』  女学校で囁かれていた言葉。あれは今思えば陰口だったのだろう。その時はそうとも思わず『もちろんお嬢様だから』と自尊心だけで胸を張っていた。  全く以て滑稽だ。友達が出来た今だから分かること。あの時は何も分からなかった。  だからこそ傍若無人に振る舞い、和馬の気持ちも考えずに振り回した。 ――ごめんね、和馬。  和馬の優しさを感じる度にいつしか罪悪感が生まれる。  和馬の優しい微笑みを私は忘れないだろう。 ――どうか幸せになってね、和馬。  そして月日はあっという間に流れていく。
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