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剛田邸招待
私は十六歳となり、和馬が剛田由真に会う日が近付いていた。
そして十七歳になる時、私の運命は変わるのだろうか。それともやはり、そう簡単には変わらないのだろうか。
父は昇格し、中佐から大佐となり従五位を与えられた。
その祝いだと言って、陸軍大将の剛田閣下の屋敷に招待される事となったと言う話しをお母様から聞かされている所だ。
「それとね、和馬くん陸幼(陸軍幼年学校)で優秀な成績を修めて卒業するって噂をね、剛田閣下がお耳にして一緒に和馬くんもご招待されたのよ。もちろん龍彦さんもね!」
高揚して喋るお母様に「すごいわっ!!」なんて返せるはずもなく、溜息が出そうなのを堪えて「ああ、そうなのね」と返す。
とうとうこの時がやって来たのだと、私の鼓動が早鐘を打ち始める。
「なあに、気の抜けたお返事ねえ? 藤花ちゃんはあまり興味無いものね、ふふ、それよりこの苺美味しいわね!」
私もどちらかと言えば陸軍のお話より美味しい苺の方が好きだけれど、今日ばかりは苺の味がよく分からなかった。
だってこの招待が私の人生の境となるのは確かなのだから。幸せだった人生が一瞬で瓦解した日。この日を境に幸せな日々が一転し、私は泣くばかりの日を過ごす。
思い出しても苦い味が胸を支配する。無言のまま苺を口に入れても酸味も甘味も口内を満たすことはなく、ただひたすらに苦しくなるだけだった。
剛田閣下の御屋敷に行く日ーーと言っても私はお留守番なのだけれど、朝から私とお母様だけがそわそわとしていた。
「はははは、なんぞ緊張でもしておるのか?」
落ち着きのない私を見てお父様には揶揄される。
「緊張なんてしてません。ただ……」
「ただ?」
「ただ、……私も一緒に行きたかったなと思っただけです」
そう。一緒に行く事が出来たらそこで何が起きたのか知る事が出来るのに。
「寂しいのか、そうか、そうか。いい子で待っていなさい」
子どものようにお父様から頭を撫でられると、龍彦兄さんが横から口を挟む。
「藤花お前が招かれているわけではないのに緊張なんてして莫迦だなあ。分かっているのか? 藤花は留守番だぞ?」
「言われなくても分かっておりますっ!」
「本当か?」
小馬鹿にする龍彦兄さんに向けて頬を膨らませていた、そんな時に和馬が合流した。
「藤花の頬はどうしたの? 桃のように美味しく熟れているよ?」
「いいわよ、いいわよ和馬まで。私を揶揄って楽しいんでしょう」
「え? 揶揄ってなんてないよ」
和馬は優しく目を細め、優しく微笑みを浮かべる。
──この笑顔も見納めね。
そう思えばこそまた胸が苦しくなっていく。ともすれば緊張で溢れそうな涙は、お見送りが終わるまで我慢した。
「行って来る」
「行ってらっしゃいませ」
――ちゃんと笑えたかしら? 声は震えなかったかしら?
迎えのお車の影が見えなくなると、一人静かに部屋に戻る。
お父様たちがお戻りになるのは夜半。それまで私は何度ため息をつき、何度胸を押さえる事になるだろう。
大きく息を吐き出すのと同時に夕陽が山際に沈んだ。
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