剛田邸招待

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 剛田邸に招待されたお父様達がそろそろお帰りになられる時刻だろう。 「もう遅いから藤花ちゃんは先に寝ていなさい、ね?」 「お待ちしなくてもいいの?」 「いいのよ、いいのよ、もう眠たいでしょう? 殿方のことは気にせず藤花ちゃんは寝ましょうね」  お母様に背中を押され自室に入る。 「おやすみなさいお母様」 「おやすみなさい」  襖を閉め、寝台へ横になる。しかし眠れそうもない。 「はあ〜。私、どうなってしまうのかしら?」  一度目の人生と同じであれば私は、お戻りになられたお父様と龍彦兄さんに思い切り詰られるだろう。その覚悟はしておかなければいけない。  しかし大好きなお父様と龍彦兄さんに詰られるのが分かっていても気が重い。いや、分かっているからこそ気が重いのか……。今度こそ家を追い出されたらどうしようかと考えれば考える程に気分が沈んでいく。そうなれば他県にいる親戚を訪ねてみてもいいかもしれない。家出のための荷物は何がいるだろうかと考えながら深く息を吐き出した。  ぎゅっと目蓋を閉じると、今度は自分の鼓動の煩さが耳に付く。  きっと今頃、剛田由真に見初められた和馬が私を見限って剛田由真に乗り換え、そしてお父様と兄さんは怒り心頭のまま帰宅するのだ――。 「んん〜、私、何か悪い事した? してないわよね? もお、なんでよ〜〜〜」  私の人生にとってここが一番の正念場になるのだろう。どんなに怒られても詰られても耐えるしかない。ここさえ踏ん張って乗り越えればきっと安穏な人生が待っているはず。  そう思っても知らずのうちにため息は漏れていた。大きくため息を吐く毎に口が乾いていく。  何度もため息を吐き、そして胃が痛くなった頃に「帰ったぞ」というお父様の声が悪魔の囁きのように聞こえた。  しかし、帰ってきたお父様と龍彦兄さんの苛立つような声も張り上げる声もひとつも聞こえて来ない。  けれど、眠れるはずなどなく、いつの間にか外が白んでいる。  朝だと言う刻限になってやっと目蓋の重みを感じ始めた所に鈴が、おはようございます、と声を掛けに来た。 「おはよう、鈴」 「お嬢様? お顔の色が優れませんね? またお熱が出ましたか?」 「熱はないと思うわ」  ゆるく首を振ると、鈴は私の前に立ち額や頬、首筋をぺたりぺたりと触る。 「熱は、なさそうですね。……朝食はどうされます?」 「ねえ、鈴」 「はい、何ですか?」 「お父様は何か言ってなかった?」 「何か、ですか? いえ、特に何も聞いておりませんよ。朝食はこちらに運びましょうか? お粥にします?」 「ん? うん。……うん、お願い」  寝ていないせいか頭がよく回らない。  こんな事ではいけないわ。これからしっかり頭を働かせなければならないのだから。しっかりしなくては、と頬を両手で挟むように、ぱしん、と叩いた。  しかし、待てど暮らせどお父様も龍彦兄さんも私の前に顔を出す事なく、朝食後そのまま家を出て行ったらしい。  食欲のあまりない私のために鈴は芋粥を作ってくれた。優しさが胃を包み、お腹が満ちた安堵とともに欠伸が出る。  長い夜を眠れぬまま過ごしたのだから当たり前なのだろう。重い目蓋を支えられずすぐに深い眠りに就いた。  お父様がお帰りになられてからの夕食の席。  お父様は何処かに心を馳せているかのように、心ここに在らずであった。それは誰が見ても一目瞭然。 「旦那様? 何か考え事ですか?」  お父様のなさる事に普段は介入しないお母様だが、今日ばかりは何かおかしいと思ったのだろう。 「あ?……いや、ああ――」  そして、チラリと私を見ると慌てたように、「何でもない」と取り繕う。これで何でもない訳はない。その理由が何か分かっているからこそ、私は敢えて聞きたくなってしまった。 「お父様? どうされたのです? いつものお父様らしくないわ」 「ああ藤花。心配させてすまない、気にしなくていいのだよ」  それを聞いて私とお母様は目を見合わせて、二人で肩を上げる。  お母様の目は、「今日のお父様はおかしいわね」と言っているようだった。  更に踏み込んでみようかと思う。それが吉と出るか凶と出るかは分からないのだが。言葉より心臓が飛び出しそうな口を開く。 「ねえお父様、剛田様のお嬢様は私と年齢が近いのですよね?」  言うや否や、剛田様、と聞いた父は持っていた箸を滑らせお皿をカチャンと鳴らしながら床に落としてしまった。 「すまない、すまない。ああ、すまない」  この慌てようときたら、動揺を全く隠せていないではないか。 「新しいお箸をお持ちします」 「ああ」  鈴がお父様が落とした箸を持って下がると、お父様はお茶をグイグイと飲み始める。心なしか額に汗が浮かんでいるのかお父様の額は電灯の明かりを受けてキラリと光っていた。  しかし何かを思い出したのかお父様は膝をポンと叩く。 「ああ、そうだ。奥方の蘭子様がお前たちを茶会に招待してくださるそうだ」 「まあ! お茶会に?」  そう聞いてお母様が喜ばない訳がない。   「時期は未定らしいが決まれば招待状を届けてくださるそうだ」 「どうしましょう。何を着て行けばいいかしら?」 「服の心配か?」 「もちろんですわよ。おかしな格好ができるわけないでしょう旦那様」  お母様とお父様の声を聞きながら私の頭の中は疑問で埋め尽くされていく。  ーー蘭子様主催のお茶会?  そのようなものが一度目の人生であっただろうか。否、ない。どうして変わってしまったのだろう。お茶会に招待というのは些末な変化ではない。由真に会うこともなく殺された私が、今度は由真に対面できる機会が訪れたのだ。  和馬が選ぶほどの女性、由真に会える。怖いような楽しみのような高揚した感覚に指先が震えている。    だが本来の流れであれば、私は父と兄に(なじ)られ、和馬からは婚約破棄を告げられるはず。  この流れの中で変わったのが『お茶会への招待』だけとは考えられない。しかしこれ以上お父様に訊いてみてもはぐらかされる気がするのだ。それなら日曜、和馬に会ってみようかと考えた。  由真は昨日きっと和馬を見染めているはず。その和馬が由真と会話をしていないことはないだろう。きっとそこに何かあるはずなのだ。それを確かめずには、この先の私の身の振りようも変わってくる事だろう。
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